心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

チイサキヒメイハドコデキコエルカ

この話は「みんな選挙に行こう」って話なので、
「なげぇ」「何書いているかわからない頭の悪い文章」等の批判についてはその通りなので
「みんな選挙にいこう」だけ覚えていただき、ここから下の文章は興味があればお読みください。


元首相が選挙活動中に暗殺され、先週、現内閣総理大臣暗殺未遂の事件があった。

事件発生時のニュースを見ながら、こんなことをつぶやいた。

表示件数は55件らしい。
誰も読まないのも知っている。自己満足だろう。
ただ、「これはNOだ」と表明することが自分にとっては大事だと思った。

案の定、ツイッターのTLなんかは、色々な意見が飛び交う。実際の割合はわからない(俺と同じくNOと表明した人が多いと信じている)

ただ、予想もしていたし、実際に空リプじゃないとは思うが
「そうせざるを得ない人の背景がある」
「テロはNOというのは綺麗ごと。現実に目を背けるな」
的な意見も見た。

今日現在でも色々な意見が飛び交っているが、やはり
・こういう行為に及んだ背景をしっかりと分析して、再発をしないようにすることこそが肝要。
・テロはNOという信条と、分析が必要は共存する。
という意見を前提に、今回のテロについて「テロはいけないが~」という枕詞を付けながら、「なぜ起きたかは考えないと」という
話もある。
で、それに対して「テロはいけないが~」が枕詞だから、実際は「テロ肯定しているじゃん」という意見と断絶が起きている感じ。

ちなみに、犯人は黙秘をしている。という現状のはずなのに、
犯人の生い立ちや背景みたいなものを報道しているのはいったいどういうことなのか。とは思う。
ワイドショーの害悪さみたいなまとめになるかと思ったら今日の夜にNHKがクローズアップ現代で放送もしていて、結構真っ暗な気持ちになった。

この件について、自分の考えを書いておく。

■NOを表明するのは大切だと思う。
元首相が暗殺され、その経緯、犯人の背景、そこから派生した色々な事象。これらを肯定的にとらえる人も多かったことで、
今回模倣犯が起きた(と思われるし、そう思っている)
で、「もう絶対にテロはNO」という事を表明しておきたいなと思った。
1度変えられたんだから、2回目以降もあるよね?理由あればしかたないよね。って、ダメだろ。
1回目を許すわけじゃない。
ただ、再び起きてしまった事に対して、「これはNO」なんだ。っていうのを共通意識にしないといけない。
「NO」が絶対で。そのうえで、課題があるのだが、どうするか。って話にしないと。

■テロをせざるを得ないくらいに追い詰められた人はどうしたらよかったのか?論
まず、今回の犯人は黙秘しているから、今回の事件について語る事はない。
でも、今後、「犯人の悲しき背景。それを生み出し、踏みにじったのは政治だ、●●だ、××だ。」※●●は貧困でもヤングケアラーでもなんでも可
という話しは無視していいのか?という話しはずっとついて回ると思う。

で、この声を無視ではなく、きちんと可視化して改善に向けて動くには何が必要なのか?って話だと思う。

SNSでの成功パターンと今はもう通用しないと思う事
過去SNSが普及した事で、「この声に出せなかった悲鳴を出す場所ができた」とか「辛かったのは私だけじゃなかった」とか
「小さき声が集まり、大きな声として直接声をあげて、ムーブメントが作れた」「それを政治は無視できなくなった。」
という事は実際にはあると思う。派遣村かもしれらないし、災害かもしれないし、保育園がないことかもしれないし。人それぞれ。

ただ、昨今のSNSはそれを手段としていたり、はじめからそれありき。という動きもあり、過去の成功パターンから外れていると
思う。

「小さな悲鳴がたくさんある、誰も気づきもしなかった、気が付いた人も見て見ぬふりをしていた」

これを拾える場所はどこなのだろうか?それを議論することが大切なんじゃなかろうか?

■マスコミの過去パターンのやばさ。
ここ10年程度でのSNSの普及により変わった事も上記の通り、陳腐化していると思っているのに
TVは相変わらず「犯人の卒業写真」「近隣の人からの生活の様子」「世相に巻き込まれたと思われる多くの人にわかりやすい出来事」を
列挙している。

これが社会的な使命や意義なのか、マネタイズとして視聴率や販売を考えると一番売上が取れるマーケティングの手法なのかわからない。

ただ議論すべき事を淡々と説明するのではなく、どこまでもエモーショナルに視聴者に物語の素材を提示して、
その中で一番大きな物語をずっと使い続ける感じ。

SNSでさえ、古いのに、もっと古いマスコミはなんなのだろう。
今回の事件って結構分岐点のような気もするし、圧倒的なマスのボリュームからしたら何も変わらないのかもしれない。

■何をすべきなのか?
俺は「テロはいけないが~」とか「過去の暗殺事件を肯定したことはない」とか言っている人の中の結構な数は、心底そう思っているのだと思う。

だから、多分、お互いに話し合うべきは「手法」なんじゃないかと思うのだ。

分断が起きるとしたら「理解できないか~」みたいな目線で語られているところへの違和感というか。
「教育の敗北」みたいな言葉もちらほらと。ここらへんフラットにお互い見ようよっていう視点が欠如したらきつい。

■手法とは
今のSNSやマスコミのやりかたでの「テロはNOだが、背景にある事をつかまないと問題の本質はつぶせない」が伝え方が合っていないのだと思う。
俺はこたえもないまま、これを書いているので、きっとマスコミの人をはじめ、俺なんかより専門的、かつ優しい人たちが必死に考えているのに
答えがでていないのだろう。(金儲けはしらん)

ただ、本当に社会問題の背景を感情的に伝えるような手法がいいのだろうか?
これさえ「お前の偏見だ。感情的になんか報道していない」という反論がある気もする。

■どこに声をあげたらいいのだろう。

■声を聞いたら何をしたらいいのだろう?

■実は既に活動している人がいて、そこへのマッチングができていないのではないか?

■知る権利は誰にでもあるが、みんなが知って風を起こすのが大切なのか?知る=伝える方法を間違えたら、意図的に風を作ったら?

■政治とは
政治学とか学んでいないのでわからないけど、本来は「どうしてもこの問題を解決したい。そのためには1人じゃなく、政治としての力が必要」といって立候補とかしたりするんじゃなかろうか。企業、事業として解決というのもあるが、それはどうしても営利的な話もあるので、
採算が見合わない話には手が届かない気もする。
だから、採算抜きというか、みんなの税金を「こういう風に使いたい」を提示し、選挙を得て、その信任を受けたら邁進すればいい。
で、「やるといったのに、やらなかった(できなかったではなく、やらなかった)」という結果があれば、次に信任を受ける事はない。
※やっても色々な現実の問題があり跳ね返されたはありえるので、それをどう説明するか。最終目標を成し遂げるために、
別の壁が立ちふさがったから、それを取り除くために時間をくれ。はありだと思う。

■絶対的な政治への不信
上記の政治について。が仮に「だよなー」と賛同を得られたとしても、半数以上の人からは
「今の与党はそれをずっと黙殺してきたんだよ」
って反論がくるのだろう。

声をあげた。ずっとあげた。でも無視された。
それどころか「声のあげかたが間違っていたんじゃない?もっといい方法があったかもよ」と言われたっておかしくない世の中だ。

でも、政治、与党への不信があるのなら、「選挙」に行くしかない。

同士を集めて与党を倒そうとかじゃなくて、与野党全部が「まず国民の投票率を●%以上に引き上げる。異次元の対応をする」みたいな
事をするしかないんじゃないか。

■小さき悲鳴を聞く余裕がなくっている
SNSの功罪について考えるとたくさんでてしまうので、雑に書くのはよくないのだが
俺は前提として個人個人が「たくさんの問題を抱えている」と思っていて、ある人にとってはどうでもいい事が、別の人にとっては深刻な事で
問題を共通化するのが難しいけど、それでも「自分が抱えている痛み」ってあると思っている。
※みんなが共通化して抱える問題については100点じゃなくとも、流石に課題解決に動いていると思う(経済は別)

だから、SNSで「1人1人の問題」が可視化された時に、1億人いたら1億通りの問題全てに手が出せなくて、どうやったらSEOあがるかな。
俺の問題を先に解決して欲しいな的な話になってしまっていると感じる。

あと「絶対的に日本が貧しくなってきている」

自分の生活に余裕がない状態で、「お前の問題はしらないけど、こっちが大変なんだよ」って声があがって、それに従えてきな論調で
話しが進むのに違和感がある人は多いのではないか?

経済的な余裕があれば解決することがたくさんあるのに、その経済が結構しんどい状態と思う。

そうすると最優先は「経済」って話になってしまい、「君の問題は大変だけど、1億人中、100人の話だから、ちょっと待っててくれるかな?」に
なったら声あげられないよな。と思う。

だから、この件は本当に難しいと思うのだ。
段階を踏むという話しだと後回しになる。
自分が我慢しているのに、お前は報われるんだ?って構図にしたらいけないと思う。

我慢が何もない状態が理想だとしても、それはない。ものだと思うけど、SNSは「我慢がない世界」を見せてしまっているように見える。

■テロはNO
そろそろ収集が付かないので、リマインド。
誰かの命を犠牲にして、その問題に振り向かせる。って手法はNOと言い続けないといけない。
「そんなの当たり前だろ」が通用しなくなってきている。

上に書いたが「1億人いたら、1億通りの悩み問題がある」それを気づかせるための手法でテロがあり。となったら、
誰にでもテロを起こす動機ができる。

それが多少集まり「自分だけじゃない」ってなったら、後押しもできるから、怖いよ。

■例:氷河期世代

氷河期世代について雑に語るのはよろしくない。ただ、以下のような理由で誰かがテロを起こしたら、
その悲しい背景から何か変わるのか?変わっていいのか?

氷河期世代でいいことがなかった
・子供どころか、結婚もできなかった
・今になって政府は異次元の子育て支援をはじめたが、もう子供が産めない歳になってしまった
・裕福な高齢者が憎かった、これからの未来を担うともてはやされたZ世代が憎かった。同じ氷河期なのに自分より裕福なやつが許せなかった。

いると思うよ。こういう思考の人は。
でも人を殺して訴えたら何か変わる。からテロ起こしていいよなんて思わないよね。

氷河期世代だけじゃないよ。リーマンショック後の若い人かもしれないし、
世代の話じゃなくて、業界とか職種とかで不遇になっている人の怨嗟もあるかもしれない。

この問題が根深いのは国の優先順位がどうだったかは知らないけど「見捨てられてきた」っていうはあると思う。
もっと根深いのは氷河期世代は世代として大変だったけど、今の若い人は「そもそも低賃金」というスタートの人が多いから
「氷河期とかしらねぇよ。俺たちの方が苦しいよ」ってなる。

めちゃくちゃ闇だと思うよ。こうなるのわかってて放置したじゃん。って言える。
でも「氷河期支援」として、献身的に支えてくれたり、中途採用の枠をつくったりと、まったく手を打っていないわけじゃないはずなのよ。

※そして今回語る事じゃないけど、もし上記の理由で事件が起きれば、やはり「それを放置した与党に大ダメージを与えられる」っている
思考になる人はいるのだと思う。ここら辺が話をするのにすごく難しい。

自分の年代的にわかりやすく氷河期を例に書いたけど、
■ヤングケアラー
だって問題だよね。

若者が親世代以上の人を介護して未来潰されて、何か凶行に走るかもしれない。

■問題 はなんでもいいのよ。1億通りあるから。


だからこそ【この問題はどうしたらいいのだろう?】をどうやったら、知れるか?今活動している人はどいうことをしているか?が
大切なのだと思う。

■選挙
選挙に行くべきだと思う。せめて自分がいれようとした人がどんな活動をしているのかについて、ちょっとだけでもHPとかブログとかあるなら
見てみるのもいい。

実際に俺は色々と裏を取らずこのブログを書いているが1つ1つの問題に真摯に取り組んでいる人もいるのだ。知らないだけで。

だから、本当は事件が起きて、その問題を知った。ではなく「今こういう問題に取り組んでいる人がいます」をもっと世に広めるためには
何が必要なのか?を考えるのが大切なんじゃないかと思う。

そういう番組は絶対に視聴率悪いと思うしね。

■AIプロンプト
昨今AIが未来をどのように変えるのかを妄想ばかりしているのだけど、もしかしたら、誰にも話せない話をAIに伝える事で
「声を伝える場所」がきちんと提示できるようになれば、もしかしたら、ほんとうにもしかしたらだけど、
変わっていくのかもしれない。

人の意識や手法が直ぐにかわらないのなら、新しいテクノロジーでぶん殴ったりできないだろうか。

■多分伝わらない
急に6000文字以上も何書いているのだ?って我ながら思うが、書いておきたかった。
浅いだろう。知識もない。優しさもない。現行の伝え方だと「人は弱いから誘導される」と自分も含め「人は強くない、賢くない、正しくない」と思ってる。

伝わらない。だって普段どんなことを考えて、何を積み重ねて、ここに至ったかなんてわからないだろうから。

だから、本当は黙っているのがいい。

ただ、今日は書いてみようと思った。

それだけです。