「わたしは自分で決めたい」と彼女は言った。
題名は超訳である。
AIの話である。
先日のクローズアップ現代で
「ChatGPTの衝撃 異次元のAIとどう向き合う?」が放送されてて、なかなか興味深かった。
まだNHK+で見られると思う。
ChatGPTの衝撃 異次元のAIとどう向き合う? - クローズアップ現代 - NHK
細かい内容は割愛するが、事例紹介でどこかの小学3年生くらいの授業でChatGPTを使った授業をしていた。
個人的にこういうのは好きだ。
ここ最近色々考えてることの具体的な話のようで面白かった。
最後に授業を受けた生徒に「AIを使うか?」みたいな質問があって、使う使わないの意見が映されたけど、その中の女の子の発言が"現時点での"本質的な懸念を表していた気がする。本能みたいな?
「使ったら、この先AIがないと選べなくなってしまうのではないか?」(うろ覚え)
これ。
ちょうど東大もチャットGPT等についての見解を出していた
「生成系AIのみのレポートはNG」東大がチャットGPTへの見解を公表…理由と“付き合い方”を副学長に聞いた(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
「検索」ではなく「相談」
これは正しい(現時点)と思うし、東大の場合は以下の話は前提だと思うのだけど、
「検索」ではなく「相談」、「決断」するのは自分自身
って事だと思う。
決断も2種類に分かれて、
・チャットGPTが出した確率が高いもの、自分が理解できないものを答えとして提出
→これが過渡期には問題になる気がする。
・決断は自分は理解しているが、個人の経験よりもAIの集合知から選択される答えの方が多分正しい(と思われる。)
→どんな些細なこともAIに聞いてしまうようになる。依存症?自分で決める怖さからの回避みたいにならないか?
ここら辺、色々な要素や、俺のように仕事観点で話してると、そりゃ違うって話の側面もあるとは思うが、
「自分の判断に自信がなくなり、常にAIに聞く」
「自信がないわけじゃないが念のためAIかけとくか」
みたい感じかと。
女の子が俺と同じだったかは別として「正しい答えを出してくれる人」として使ってしまったら、自分で何も決められなくなるのではないか?
という恐怖みたいなのは同じだったのかもしれない。
ちなみにこの感覚を「いやいや、そもそも、誤解っすよ」的に反証したりしながら、チャットGPTの活用が浸透していくのだと思う。
だから、放送された授業のように「まず使う」「これは何なのか?」「どう使っていくのか?」を肌感覚で身につけつつ、ルール等を作っていくのだろう。
チャットGPT4はどう思う?
とこの後問いかけよう。
ちなみに「AIかけといて」みたいなのは自分自身が指示する気がするわ…
それでは、また。