心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

「わたしは自分で決めたい」と彼女は言った。

題名は超訳である。

AIの話である。

 

先日のクローズアップ現代

「ChatGPTの衝撃 異次元のAIとどう向き合う?」が放送されてて、なかなか興味深かった。

まだNHK+で見られると思う。

 

ChatGPTの衝撃 異次元のAIとどう向き合う? - クローズアップ現代 - NHK

 

細かい内容は割愛するが、事例紹介でどこかの小学3年生くらいの授業でChatGPTを使った授業をしていた。

 

個人的にこういうのは好きだ。

ここ最近色々考えてることの具体的な話のようで面白かった。

 

最後に授業を受けた生徒に「AIを使うか?」みたいな質問があって、使う使わないの意見が映されたけど、その中の女の子の発言が"現時点での"本質的な懸念を表していた気がする。本能みたいな?

 

「使ったら、この先AIがないと選べなくなってしまうのではないか?」(うろ覚え)

 

これ。

ちょうど東大もチャットGPT等についての見解を出していた

「生成系AIのみのレポートはNG」東大がチャットGPTへの見解を公表…理由と“付き合い方”を副学長に聞いた(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 

「検索」ではなく「相談」

 

これは正しい(現時点)と思うし、東大の場合は以下の話は前提だと思うのだけど、

 

「検索」ではなく「相談」、「決断」するのは自分自身

 

って事だと思う。

 

決断も2種類に分かれて、

・チャットGPTが出した確率が高いもの、自分が理解できないものを答えとして提出

→これが過渡期には問題になる気がする。

 

・決断は自分は理解しているが、個人の経験よりもAIの集合知から選択される答えの方が多分正しい(と思われる。)

→どんな些細なこともAIに聞いてしまうようになる。依存症?自分で決める怖さからの回避みたいにならないか?

 

ここら辺、色々な要素や、俺のように仕事観点で話してると、そりゃ違うって話の側面もあるとは思うが、

 

「自分の判断に自信がなくなり、常にAIに聞く」

「自信がないわけじゃないが念のためAIかけとくか」

みたい感じかと。

 

女の子が俺と同じだったかは別として「正しい答えを出してくれる人」として使ってしまったら、自分で何も決められなくなるのではないか?

という恐怖みたいなのは同じだったのかもしれない。

 

ちなみにこの感覚を「いやいや、そもそも、誤解っすよ」的に反証したりしながら、チャットGPTの活用が浸透していくのだと思う。

 

だから、放送された授業のように「まず使う」「これは何なのか?」「どう使っていくのか?」を肌感覚で身につけつつ、ルール等を作っていくのだろう。

 

チャットGPT4はどう思う?

とこの後問いかけよう。

 

ちなみに「AIかけといて」みたいなのは自分自身が指示する気がするわ…

 

それでは、また。