自分は「わかってるから大丈夫」の罠の話
こんにちは。おじさんです。
40代はアラフォーとか思ってたら、45歳を過ぎるとアラフィフらしいのに最近気がつきました。
「誰も読んでないけど、読んだら波長が似てる人はちょっと得するブログ」の運営をしています。
嘘です。好き勝手書いてたら誰もいなくなりました。
さて、今日の話は「俺は私はわかってるから大丈夫」の危険性について書くことにしました。
例によって途中で口調やテンションが変わったり、急に打ち切るかもしれませんので予めご了承の上お読みください。
さて、書く。たまには書く。ちなみにこの話はもう何年か前、少なくとも去年には終わってる話なんだけど、こう言うのを改めて書き起こす時に「構想N年の大作遂に登場」とか書いたりしていいのだろうか?
今日書くのは気まぐれだ。
俺が何者かになってみなさんが「ありがてぇ、ありがてぇ」と投げ銭してくれるようになったら、書こうと思ってたのだが、今日は無料公開することにした。
そもそも何者になるの、何者とはなんだかわからねぇが、ブランディングして小銭稼ぐのは俺の目標にはならないし、強がっているが、その能力もブランディングで人が羨むようなものも持ってねぇ。
でも、まぁ、たまには役に立つ事を書こうと思った。役に立つのは俺だけだからあなたに役立つかは知りません。
じゃ、書くぞ。
冒頭に書いたように俺は2023年の段階で40代のおっさんだ。
昨年、ほんの些細な事がきっかけで、ご縁があり今年とある作業をお手伝いすることになった。ボランティアというか、有志の活動というか。
まぁ名前も出ない、報酬もないお手伝いだ。
面白そうなので、参加させていただく。
で、その時に
「いやー、おじさん探してたんでちょうど良かった。いやーちょうど良いおじさん見つかって良かったなぁー」
と俺より年長のおじさんに言われて、
「いやぁ、自分がちょうど良いおじさんで良かったっす」
とにこやかに話していたが、
「あまり、おじさん連呼しないでくれー」とザワザワしたのも事実。
普段から「自分はおじさん」と書いたり名乗ったりしてるくせに、いざ、他人から指摘されると心がざわつくみたいな。
いや、俺がおじさんなのは事実だし、自覚してるし、なんなら普段から書いてるよ?の罠。
小さな話だ。でも、俺は書かないけどこの構図でもう少し規模の大きな失敗をしてるので、実感を持って「俺自身についていえる」
■自分はわかってる、わきまえてる。って思ってることで、やらかしをすると普段以上に過ちを認めるのに時間がかかる。
今日の話はこれだけ覚えて帰ってください。
たぶん、SNSとかで謝れなくなってる人とか「なんでごめんなさいできないの?」って案件の中にはこの要素もあるんじゃねぇかな?と思ったりする。
「アップデート出来ない人はダメ」という世の中の風潮にNOを言うつもりはない。
実際に価値観や生き方が多様化している世の中で「自分にはわからない考え方、生き方」
「昔はOKだと思われていた考え方、言動は今は使えない」※
は知らなくてはいけない。ビジネスの世界でも境界線がたくさんなくなってる。境界線の定義だけでも働く人の年齢、性別、国籍とか、ビジネスの範囲も国内だけじゃなくて海外とか、もうあげたらキリがない。
※そもそも昔から「NO」だが、それを自覚してなかった事が明確になったという事象もあり、ここら辺は今日は議論しません。
何が言いたいかと言えば大きな企業とかで色々な講習があるように、常に今の世の中で「知っておかないといけない事」に溢れている。
ビジネス案件でいえば、パワハラ、セクハラ。なんかわかりやすい。
(注)わかりやすく説明する例なので、俺のやらかしはハラスメント案件じゃないっす。もっとアホな話。
で、俺も含めて「そんな講習受けなくたってわかってる」って考えてる人多いと思う。その上で講習も受けている。みたいな。
講習受けなくてもSNSでのアホな炎上案件を何件も何件も何年も何年も見続けて「こんなバカなやつは可哀想」って思ってる。
少なくとも「相手がハラスメントと感じたら、それはまず相手がどうしてそう思ったのか、そしてそこに不適切な対応があったのなら、それはハラスメントなのだ」※
※不適切な対応があろうとなかろうとハラスメントになった時点でダメって話かもしれないが、そこは今は割愛。
で、
「うん、うん。わかってる。自分は大丈夫」
の人は多いのだ。これ、ハラスメントに限らず、男女のお付き合いでも、育児の話でも、高級レストランでの無料のお水でもなんでもいい。
で、俺が今回言いたいのは、それでも、それが自分自身に起きた時に「そっか、すまんかった」ってすぐに思える人は凄いと思うって事。
だって、「そう言うのはダメな事」「相手が不快になった時点で過ちは自分にある」とか、理解してたはずなのに
いざ自分が当事者になったら
「いや、わかってたよ」
「その上で言動に注意して○○したんだけどなー」
とか、自分はわかってたから、行為に正当性がある。ってまず頭になってしまう。
なまじ自覚していたから、余計に頑なになる場合もある。だって「わかってて注意して行動してたから」だから、相手の言い分の方が何か難癖になってないか?ってなる。
だって、俺わかってるもん。
これの話の難しさを伝えるのは俺に実力が足りない。
偉そうに書いてるし、ハラスメントなんてした事ないと言ってるけど、明日出勤したら部下が出社してなくて「あなたのマネジメントのせいです」ってなるかもしれない。
俺はきちんと注意深くマネジメントしてるのに。だ。
「それ、知りませんでした。ごめんなさい。以後気をつけます」
より
「わかっていたつもりだけど、実はわかっていなかった」
を認める方が難しいんじゃないかな。
だって「発生するまでOKだったもん。気をつけてたもん」って思考が入るから。
以上。
だから、俺は「価値のアップデート」について、声高に人に唱えるつもりもないし、やらかした人に「あいつはアップデート出来てなかった」とかドヤるつもりもない。
※聖闘士なので「一度やったなら、次は通用しない」はあるぞ。
失敗を許容できない時代になったと感じるけど、それは「自分は失敗しない」っていう前提にみんなが立ちすぎてる気がする。
ここら辺「ドクターX」の現代社会における影響と責任論について議論が必要かもだが今回は割愛する(嘘)
俺もあなたもやらかす可能性ありますよ?って思ってたら、少しだけ、人に優しくできるかもしれない。
繰り返すが聖闘士に同じ技は通用しない。
こういうのは書くべきじゃないと思ってるが、今日は興味本位で書いてみた。
ちなみに
・なんでもかんでも謝ればいいのか?
・まず謝ると言う行為は全面的にまず自分に否があったとなってしまうリスクがないのか?
とか、そういうのはきちんと学ばなければいけないと思う。ここで書く事じゃない。
俺も学んでない。チャットジーティーピーに教えてもらわないと…
あと、人に寛容でありたい。と自覚してても「この行為は流石にないわ、許せないわ」って気持ちがないわけじゃない。そういう矛盾も含めて、何を上位に置くのかとか。自分も当事者になり得るを念頭に置いておくとかの話。
そんなわけで、普段の読者の方以外に読まれることは想定していないので、ここだけの話で。
ちなみに今年お手伝いする案件は個人的に凄く楽しみなんだけど、まさかのAIの時代になってしまい、お受けする時の話とは全然別に
・AI時代の○○にどう向き合うか
・AIが回答を示す世界だからこそ、人が紡ぐ面白さはどこで体験出来るのか?
という別のテーマも俺の中で加わり、ワクワクしている。
これを話す機会がないのがとても残念だ。
おじさんなので鳥貴族あたりで秋頃にグダグダ語ってるはずです。
それでは、また。