批判的な思考を言語化するのは疲れる
1時間ほど横になりながらブログを書いていた。
日曜日21時の独り言〜明日は出勤編〜
でも書いててつまらなくなって下書きに入れた。
自分のモヤっとしたものを書く事で「そーだ、そーだ」と思われたかったのか?なんか書いてみようとはじめたが、
書いていて楽しめなかった。飽きた。
怒りとか、モヤっとしてる事を書いてると「こんな事してて面白いか?」という気持ちとかでる。
だから、ずっとTwitterとかで怒り続けてる人はすごいと思う。
んーちょっと違うかな?
ブログとかで瞬間的に怒りを言語化するには僕には熱量と技量が足りない。
あと、Twitterとかで目に入るような変なツイートは、怒るのも馬鹿らしいと書いてて思ってるのかも。
本当に許せない時はたぶんガッとかける。
三角関数のやつとか、明らかにおかしいんだけれど、「可哀想な人だな」と思うと、それで終わりな感じ。でも、こういう人の言説が正しい。という風潮になったら、俺も怒るのかもしれない。
でも、なんというか、可哀想な人だよね?
センソーがなぜ起こるのかを子供に聞かれて〜ってやつも、可哀想だな。と思った。
もちろん俺が絶対正しいとは言わない。視点が違うのかもしれない。
でも、俺から見たら可哀想な人なので、怒る必要がないのかもしれない。
チヤホヤされてたら、許せないけど。
なぜ可哀想かと思ったかの構造を説明したブログを書いていたのだけれど、まぁこれがつまらない。
ただそれだけです。