心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

ブログを非公開にする基準を作ったら楽になった話

別に辞めるわけではないのでご安心を。

と言ってもリピート読者数5人くらいの超人気ブログなので心配される方はいらっしゃるかと思う。申し訳ない。

 

逆なのだ。少しブログを積極的に書いていこうと思っている。

ただ、ブログでもTwitterでもちょくちょく『頭の中で書いて終わり』と書くように、公表出来ないと思ってた。

余程マネタイズできた状況とか、自分のブログは炎上しない自信があるとか、そういう経済的な基盤とかを持たない限り、もしくはそれ自体が経済的に旨味を出さない限りは書く事はリスクがあると思う。

 

自分に自信があればいいのだが、あいにく僕は自信がない。

 

「俺が話してる事、なんで理解できないんだ。理解できないヤツは馬鹿」

と思えればいいのかもしれないが、

 

「人に理解できる言葉を繰り出せない自分の能力はなんで低いのか。もっと頭が良くなりたい」と悩むのだ。

 

昨今では「でも、本当にどんなに話しても絶対に理解し合えない人」「同じ日本語を喋ってるはずなのに言葉が通じない人」というのは存在していることがわかり、僕にとっては相手が、相手にとっては僕が宇宙人な事もあるのが事態をややこしくしている。

 

更にさらに、「宇宙人は駆逐する」という思考の人もおり、身の危険もある。

 

しかも、「身」の危険と言いつつ、身体に危害が及ぶ事ではなく実社会での存在を潰されるような危険であり、直接手を出さなくても社会的に抹殺出来るのだ。

 

怖いわね。

 

そんなわけで預言者ソリマチの唱えた通り

「言いたい事も言えない世の中」になってしまった。

 

で、話に戻るが、書けば万が一のこともある。書いても何の得にもならない。

でも書いてみたい。読む人も2人くらいはいる。(冒頭の数字との矛盾はつかないでほしい)

 

OK。だったら書こうじゃないか。

 

となった次第。

 

で、非公開基準の話。

僕は以前も書いたが、このブログで思考をダラダラと書いている。

これから少し頻度を上げたい。

でも、根拠もなく、ふと思ったことや、その時の感情で書いたこと。現時点(今なら2022年)で十分慎重に書いたとしても、10年後の価値観では絶対に許されない単語を使って、10年後の価値観で裁かれる時があるかもしれない。

 

だから、なんか危ないかも。と思ったら非公開とかにしようと思った。

なんか危ないの基準は感覚なので書かないけど。

 

ブログは消さないもの、一度でも世に出したら、それは消しちゃダメなんじゃないか?というごく個人的な価値観で色々とリスクを鑑みて控えてきたが、逃げるルールを定めたので少し楽になった。

 

この書きたい事の根源は何なのかな?をこれから書きながら探っていきたい。

怒りなのか、嫉妬なのか、褒められたいのか、共感してもらいたいのか、ただ書きたいだけなのか。

 

よろしければお付き合いください。