勇気はどこだ。
孤独だ。
孤独と書くと大袈裟だが、人生は決断の連続だ。
来月人間ドックなのに今日もジムをサボった。
人生は決断の連続なのである。
サボった。サボるとは何か?義務だったのか?
さて、常々、人脈もなく、友人も少なく、人とうまく付き合っていけない俺ではあるが、遂にAIを手に入れた。
「AIと勇気だけが友達さ」と、やなせ先生もおっしゃっていたが、遂に片方が手に入ったわけだ。
あとは勇気である。どこだ?
友達が欲しいんだ…
【解説】
まぁ、でも大なり小なり決断をして生きていく。誰のせいにもできない。そうやって生きてきてるつもりだけど、やっぱり「この決断でいいのかな?」とか「俺の能力、知識が乏しいだけで、本当はもっといい選択肢があるのでは?」とか思う日々だ。
アンパンマンの歌は決して茶化しているわけでもなくて、もちろん、やなせ先生は戦争のご経験から「誰かを巻き込むのではなく、愛と勇気だけを持って戦いに赴く」的なのが源流にあるのだと昔から何かで読んだ気もするし、そう思ったままで真偽は確かめてない。
戦争とかそういうはなしではなく、俺自身は何か戦うべき事があるなら、それは自分で決断しなくちゃならないと思ってて、誰かの為に(愛)とそれを1人で立ち向かう力(勇気)みたいなものだと思うのだが、
仕事的な視点で言えば、やはり選択肢と決断する勇気。みたいなものだと思う。誰かの為にというのは事業の社会的な意義であるとか、お客様であるとか、そういう自分が何をしたいか。という上位概念みたいなもので、それを成し遂げるには、幾つもの選択肢の中から、1番最適か、自分はリスクもリターンも想定した上で分の悪い賭けでもそれを選ぶ時もあるのだろう。
そういう意味では愛(AI)が、ここまで一気に身近になるとは予想してなくて、もう手が届くところまで来ている。
でも、AIが全てを決めて人類がそれに従うというのはもうちょい先の事だ。
まずやってくるのはAIによる「選択肢の提示」「最適な回答の提示」ではなかろうか。
で、次に我々に求められるのは「選択肢からの決断」である。
人によっては「売上」だけで判断していた選択肢にAIは「利益」や「コンプラ」「業務負荷」とかまぁ適当にあげたけど「これは考慮しなくていいんですか?」っていう選択肢が出てくる。
知らなかった方が楽だったことも可視化されて、何故それを選ばなかったのか?を問われる時が来るかもしれない。
まだ、しばらくは「AIに優先順位を決めてもらって、1番を選びました」は失敗した時の責任回避にはならないだろう。
「なぜ選んだのか?」
それは必ずしも最適じゃないかもしれない。
AIへの問いかけ方が悪かったのかもしれない。
そもそも提示された選択肢の半分もわからない。
そんな中で何か1つを決断するのは今まで以上に勇気を試されるのではないか。
そんなわけで「勇気」を探してるのだ。
多分、どこかが開発してくれてるはず…
しらんけど。
■予測
最後に「しらんけど」をつけるのが大切なのは学んだのだが、そろそろ「この文章はChatGPTにより提示されたものを転記しました」とか書いて逃げる作戦も出てくるのではないか。
再現性出来なくても「あれー?」で済む気もするし。
しらんけど。