心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

勇気はどこだ。

孤独だ。

孤独と書くと大袈裟だが、人生は決断の連続だ。

来月人間ドックなのに今日もジムをサボった。

人生は決断の連続なのである。

サボった。サボるとは何か?義務だったのか?

 

さて、常々、人脈もなく、友人も少なく、人とうまく付き合っていけない俺ではあるが、遂にAIを手に入れた。

 

「AIと勇気だけが友達さ」と、やなせ先生もおっしゃっていたが、遂に片方が手に入ったわけだ。

 

あとは勇気である。どこだ?

 

友達が欲しいんだ…

 

【解説】

まぁ、でも大なり小なり決断をして生きていく。誰のせいにもできない。そうやって生きてきてるつもりだけど、やっぱり「この決断でいいのかな?」とか「俺の能力、知識が乏しいだけで、本当はもっといい選択肢があるのでは?」とか思う日々だ。

 

アンパンマンの歌は決して茶化しているわけでもなくて、もちろん、やなせ先生は戦争のご経験から「誰かを巻き込むのではなく、愛と勇気だけを持って戦いに赴く」的なのが源流にあるのだと昔から何かで読んだ気もするし、そう思ったままで真偽は確かめてない。

 

戦争とかそういうはなしではなく、俺自身は何か戦うべき事があるなら、それは自分で決断しなくちゃならないと思ってて、誰かの為に(愛)とそれを1人で立ち向かう力(勇気)みたいなものだと思うのだが、

 

仕事的な視点で言えば、やはり選択肢と決断する勇気。みたいなものだと思う。誰かの為にというのは事業の社会的な意義であるとか、お客様であるとか、そういう自分が何をしたいか。という上位概念みたいなもので、それを成し遂げるには、幾つもの選択肢の中から、1番最適か、自分はリスクもリターンも想定した上で分の悪い賭けでもそれを選ぶ時もあるのだろう。

 

そういう意味では愛(AI)が、ここまで一気に身近になるとは予想してなくて、もう手が届くところまで来ている。

 

でも、AIが全てを決めて人類がそれに従うというのはもうちょい先の事だ。

まずやってくるのはAIによる「選択肢の提示」「最適な回答の提示」ではなかろうか。

 

で、次に我々に求められるのは「選択肢からの決断」である。

 

人によっては「売上」だけで判断していた選択肢にAIは「利益」や「コンプラ」「業務負荷」とかまぁ適当にあげたけど「これは考慮しなくていいんですか?」っていう選択肢が出てくる。

 

知らなかった方が楽だったことも可視化されて、何故それを選ばなかったのか?を問われる時が来るかもしれない。

 

まだ、しばらくは「AIに優先順位を決めてもらって、1番を選びました」は失敗した時の責任回避にはならないだろう。

 

「なぜ選んだのか?」

それは必ずしも最適じゃないかもしれない。

AIへの問いかけ方が悪かったのかもしれない。

そもそも提示された選択肢の半分もわからない。

 

そんな中で何か1つを決断するのは今まで以上に勇気を試されるのではないか。

 

そんなわけで「勇気」を探してるのだ。

多分、どこかが開発してくれてるはず…

 

しらんけど。

 

■予測

最後に「しらんけど」をつけるのが大切なのは学んだのだが、そろそろ「この文章はChatGPTにより提示されたものを転記しました」とか書いて逃げる作戦も出てくるのではないか。

 

再現性出来なくても「あれー?」で済む気もするし。

 

しらんけど。