質問頂いた最後のテーマ『中年の危機』について僕なりの経験と考えを話したいと思います。ちょっとお時間いただきました。
■中年の危機?更年期障害?
実は「中年の危機」という単語自体はここ1.2年でインプットした単語というか、あまり意識した事がなかったのです。
むしろ40代になると「更年期障害」って言葉の方が以前から知っていて、いざ40代になると「更年期障害〜ふむ。女性の、なるほど、そーいう感じ」みたいなのをまず意識して、その次に「更年期障害 男は?」とかで検索して、男性にも更年期障害はあり、結局は「ホルモンのバランスが崩れることで、引き起こされる様々な不調と不安定さ」というものを意識してました。
そのうちネット記事とかブログとかで「中年の危機」だとか「何者にもなれなかった中年の行く末」みたいなのが語られるのを目にするに連れ「中年の危機」というものを理解していったきもします。
■中年の危機とは何か?
個人的にはあまりよくわかっていないのです。
・何者にもなれない自分
よくいわれるこれについては、いぜん「令和何者考」というタイトルで書いた事があるのですが、よくわからなくなり下書きにお蔵入りしました。
社会人としての先が見えることでの自分の限界みたいなものを表すのかもしれませんけれど、僕はもともと転職を前提に生きてきたので、終身雇用の中で先が見えた。とかそういう感覚はなく、むかしどこかでこれは出した気がするのですが「これから先が見えないなかの恐怖」とどう向き合うか?を考えていました。
何者にもなれない。ではなく、常に自分は自分でしかない。
ということだと思っています。
ただ仕事とかに限らず40代とかはいろいろな転機があるとは思うので、
そういうところで「選択肢」を考えた時にキャパオーバーする。っていうのも
あるのかもな。とは思います。
ここらへん
人生は選択の連続>>
という記事を昔書いたのですが、これも書いている途中で下書き・・・以下略
■では中年の危機は経験ないのか?→あるかも
仕事。という意味では2019年~20年あたりはちょっとつらい時期ありました。
声がかすれがちだったり、左目のまぶたがけいれんしたり。
きっとストレスだったのだろうなと思います。
詳しくはかけませんが、
「こうありたい(あるべき)自分」という自分の中の基準に対して、
「自分は満たせていない」という思いが強かった時期があります。
特にコロナ禍ではテレワーク主体になり、相手の反応が見えにくい。コロナに影響される仕事でもあり、業績的には悪い状況になっている。
外部環境は過去にない逆風が吹きまくり、社内的には自分が役割を果たせているかがわかりにくい。
この手ごたえのなさは自分に起因するのではないか?
同じような環境の友人とかに気楽にあえる状態でもなく。
んー。と自分の中で悪循環を繰り返しました。
結論としては、
「自分を許す」「今できる事をやる」事しかできないし、それが第三者がどう評価するかは結果でしかない。な。と「まず自分を許そう」というところから出発して今にいたります。
はい、ここ。過去に書いてるからね!バンバン(黒板をたたく音)
■大後悔時代がやってくる
暴論ですが中年の危機とか、自分のアイデンティティは?みたいなのはアラフォーとかではなく、これから50代、60代を含め大量にでてくるんじゃないかとは持っています。
「暴論」と書いたのは、根拠もなんにもないからなのですが「高齢化社会」によって、自分の親とかがまだ生きている状態が今後流石に団塊の世代とかが大量になくなる社会において、その時にはじめて、自分を完全に庇護する人がいなくなる状態で、今の自分の環境とかを見渡した時に足元がぐらぐら揺れるひととかでるのではいかなと思います。いや、しらんけど。
ここらへんは、自分が父親を亡くした時に感じた事が影響しているので、今は長寿の時代になり親がいまもご健康でいらっしゃる方がたくさんいる中で、肉親という存在がなくなっていくときに、自分の事を見直す機会が生じるのではないか?ということから書きました。
8年前にこんなこと書いてます。
自分はこうだった。ってだけですが。
■僕自身は中年の危機は抜けたのか?
抜けていない。というかずっと危機なので中年どうこうはあまり関係ない。という気がします。
・健康(体はどんどんぽんこつに)
・仕事(いつまで働けるのだろう、働かなくちゃいけないのだろう)
こんなことを中心に、いつでも何か起こるでしょうし、不安は絶えません。
■だから、まぁ、目の前の事をやるだけ。
今はそういう事を念頭にやっています。
よく「5年後、10年後を考えて」とかありますけど、
コロナ禍なんて誰も予想しなかったし、この3年を予想してたわけでもありません。
だから「こう生きていきたい」は大切だと思いますが、事象については流されるというわけではなく、その時に起きたことに対して、どうしていくか。
選択肢を自分はもっているか?を考えるのが大切かと思います。
■選択肢とは
経験から得られた選択肢
金銭的な所有から得られる選択肢
その他の選択肢
僕は結局は人生は大なり小なり「決断」の連続だと思うので、
その決断に至る「選択肢」がその人の歩んできた道のりに応じて、選択肢をもっているかどうか。だと思います。
【注意】多いからいいというものではない。
ゲームのフラグみたいなもので、
選択肢から選べる人もいれば、ルートとして通らなかったため、フラグがたたず、その選択肢自体がでてこない。
そういう自分の選べる選択肢が狭まれば狭まるほぢ、エンディングが決まってしまうような錯覚になり、もがいたり、後悔したり、とかなのかと。
でも、まぁ、今、手札がなかったり、今直面している問題はその手札がないせいで選べないこともあるかもしれませんが、今の今、自分がしていることはいつかきっと、何かの選択肢になるかなと思います。
中年の危機からずいぶんと離れた事を書いているかもれませんが、僕なりの今時点での考え方は以上です。
ご質問いただいた方への回答はこれですべてお答えできたかと思います。
満足のいくものだったかどうかはわかりませんが、
ご質問ありがとうございました。