心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

打ち上げ花火、スマホで見るか?肉眼で見るか?

コロナ禍で数年間止まっていた夏の行事が一斉に戻ってきた。

 

花火大会。先日の隅田川をはじめ地方も含め夏の風物詩が帰還した(帰還しない地方の事情は割愛)

 

コロナ禍で止まってはいたが、コロナに関係なく19年ごろから思っていた事を書いておく。

 

皆がスマホを持ちカメラ、ビデオが簡単に撮影できる時代。ふと、花火を見上げる人々を見ると、スマホを通してみている人が沢山いる。

「この日、自分がここにいた証」なのかもしれない。

 

そういう時代なのだと言えば、この話はこれでおしまい。

ただ、記録に残らないものも大切だったりしないのだろうか?

 

自分が古い人間なのは承知の上で。

そのスマホのカメラで撮影された花火は、いつか何かの記憶を呼び覚ましてくれるのだろうか?

 

否定はしない。

ただ、生でみた花火の体に浴びるような音と振動。クーラーなんてない屋外のクソ暑さ。

風景を撮るのではなく、その風景の中に自分がいた体感と記憶。

そんなものがいつか貴重になるんじゃないかと。

 

俺の好きな漫画『俺たちのフィールド

作中、日本が初めてW杯に出場を決めたその時、周囲のカメラマンが明日の一面の写真を撮影している中で、フリーカメラマンの時任あきらは

「私は昔からこの絵が、この瞬間が見たかったんだ…」と肉眼で見続けていた。

俺の好きなシーンだ。

 

この話にオチはなく、スマホで撮るのが不粋とも思っていない。

ただ、五感を、体が元気に楽しめるのなら、「今」「この瞬間」を楽しむ方が俺は好きだ。

 

ただ、それだけの話である。

 

2023隅田川花火大会

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ま、記録も大事よね。