「教育」と「経済」グールグル
正直にいえば、ブログもTwitterもやり方変えるか、消えるか、小さなコミュニティ作って終わらせるか迷っていて、それはそれでまた今度書くけど、ここ最近の世の中のうんざりする話題の数々については
どちらがニワトリとたまごかは知らないけど、
日本が経済力がなくなり貧しくなる事で「教育」が疎かになり、「教育」による底上げが出来ないから「経済」が弱いままで。
なのかなと思う。
こういう話書くと頭が良いみなさまから「ペラッペラやね」と思われるので書きたくねぇよ。
ただ、教育には金をかけないといけなくて、それは一部の裕福な層が子供に金をかける類の話じゃなくて、国語力でも、ネットリテラシーでも、勧誘リテラシーでもなんでもいいのだけれど、「ものの見方」とか「考え方」とか、そういうものはどうしたら養えるのか?
そして、それは一部の人の技術ではなく、公立の教員に対してしっかりと報酬が払える前提で、貧富の差がなく、受けられる教育が必要なのだと思う。
そのくらいいますTwitterとか見てると「同じものを見ている、読んであるはずなのに話が通じない、断絶している」感じが強い。
誤解しないで欲しいのは「同じものをみているのだから、同じ結論になるはず」ではない。
様々な意見があっていいのだ。
ただ、「なぜ様々な意見があるのだろう?」という選択肢を持ててない事はまずいと思う。
ここら辺が「経済の衰退による貧しさからの余裕のなさ」に起因してないか?が心配というか。
目にするものが1か0かみたいになってる事が怖いなぁと思うのでありました。
「選択肢」
「決断」
とかそういう話はまた別に。