心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

「教育」と「経済」グールグル

正直にいえば、ブログもTwitterもやり方変えるか、消えるか、小さなコミュニティ作って終わらせるか迷っていて、それはそれでまた今度書くけど、ここ最近の世の中のうんざりする話題の数々については

 

どちらがニワトリとたまごかは知らないけど、

日本が経済力がなくなり貧しくなる事で「教育」が疎かになり、「教育」による底上げが出来ないから「経済」が弱いままで。

なのかなと思う。

 

こういう話書くと頭が良いみなさまから「ペラッペラやね」と思われるので書きたくねぇよ。

 

ただ、教育には金をかけないといけなくて、それは一部の裕福な層が子供に金をかける類の話じゃなくて、国語力でも、ネットリテラシーでも、勧誘リテラシーでもなんでもいいのだけれど、「ものの見方」とか「考え方」とか、そういうものはどうしたら養えるのか?

 

そして、それは一部の人の技術ではなく、公立の教員に対してしっかりと報酬が払える前提で、貧富の差がなく、受けられる教育が必要なのだと思う。

 

そのくらいいますTwitterとか見てると「同じものを見ている、読んであるはずなのに話が通じない、断絶している」感じが強い。

 

誤解しないで欲しいのは「同じものをみているのだから、同じ結論になるはず」ではない。

様々な意見があっていいのだ。

 

ただ、「なぜ様々な意見があるのだろう?」という選択肢を持ててない事はまずいと思う。

 

ここら辺が「経済の衰退による貧しさからの余裕のなさ」に起因してないか?が心配というか。

 

目にするものが1か0かみたいになってる事が怖いなぁと思うのでありました。

 

「選択肢」

「決断」

とかそういう話はまた別に。