心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

『かぐや姫の物語』感想。姫の犯した罪と罰。と『風立ちぬ』

スタジオジブリ最新作。高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を鑑賞しました。

ネタバレというか感想を書きたいのですが、内容について言及する前にいつものように

『この映画は誰にお勧めか?』の視点で書きますと。

誰にでも。と書いておこうと思います。その根拠やどういった話なのかはこれから書きますが、twitterで「小学生の子供と観に行けますか?」と質問をいただいたのですが、問題なく!観に行ける作品だと思います。

そして沢山たくさん語ろうと思えば語れるのではないでしょうか?

まだ公開したばかりなので、これから観に行く人も沢山いると思いますが老若男女が観に行ける作品だと思います。

ただ、合わない人は合わないと思うので、そこはPVの後から僕の感想を書きますね。

 

 

 

 それでは、ここから映画を観た上での感想です。

原作に忠実なので物語に驚きの展開等は全くない。

僕は映画館で流れる予告編を見た以外には公式ホームページも見ないで映画を観にいったのですが、子供の頃から知っている『竹取物語』と何も変わりがありませんでした。ですので竹取物語』を知っている人で映画はそれをベースにしている違う話だろうと想像しいったら裏切られます。本当に原作に忠実。

ですので物語の流れだけを観るならばまんが日本昔話』でいいじゃないってなるかもしれません『姫の犯した罪と罰』とか思わせぶりじゃないか!と予告を疑うところです。しかし・・・

 

『姫の犯した罪と罰』とは何か?

かぐや姫は月から来たお姫様なわけですが、月の民にとって地球は穢れた星なのですね。その穢れた星に憧れを持ったのが『罪』であり、穢れた星に送られたのが『罰』なわけだと思います。

 

何故『罰』が許され月に帰るのか?

かぐや姫の『罪』は地球は穢れた星ではないと考えた事であり、だからこそ『罰』として地球に送られた訳ですが竹取の翁の願いのまま高貴な姫として生きようとすることがかぐや姫にとっての苦しみであり、その苦しみが溜りに溜り、最終的に御門に抱きしめられた事で地球という星は穢れていると深層の部分で認めてしまった。地球は穢れていると認める事こそが罪を認める事であり罰が許される事になったのだと思います。

 

竹取の翁の願いは穢れだったのだろうか?

これは人によって解釈は違うのかもしれませんが、僕は竹取の翁は本当に純粋にかぐや姫を愛し、天から授かった姫を幸せにしようとしたのだと思います。

舞台となる時代では女にとっての幸せが高貴な姫として生まれ、高貴な方に嫁ぐ事なのです。月の民の仕業なのか竹から財宝を得た翁は「天はこの姫を幸せにしろといっている」と思い、その時代にもっとも幸せな形をかぐや姫に与えようとしていたのだと思います。ただ姫の願う幸せと翁(世間一般)の幸せは違っていた。

だからこそ、かぐや姫は御門の求愛という地球上の女性にとって最上の幸せも受け入れる事ができずに月へ助けを求めてしまったのでしょう。

ただこれをもって翁がかぐや姫を得た事で欲に目がくらんだ事で起きた悲劇とは言えないと思うのです。

 

では何がかぐや姫の幸せだったのか?

かぐや姫が短い期間とはいえ「たけのこ」として山の人々と一緒に自然を駆け巡り、自由に生きていた事こそが彼女が地球で生きる事であり幸せだったのすね。

ラスト近くの捨丸との夢なのか現実なのかわからない邂逅でもかぐや姫が言っていましたが心のままに生きる事。ありのままの自然と生きる事が彼女にとっての幸せだったのかもしれないと。過去形なのはすでに月に帰ることが確定してしまっているので後の祭なわけです。捨丸は恋愛対象というよりかぐや姫にとっての望むべく生き方の象徴なのでしょう。

これは単純に自然と生きよう。とか自然素晴らしいとかそういう事ではなくて、自分が幸せだと感じるであろう事にひたすら純粋に生きるべき。という事を言いたいのだと思いました。

 

生きねば。

『かぐや姫の物語』は2つの事を訴えていると思いました。

1つは幸せは他人(世間)が決める事ではなく自分が幸せだと思う事が大切であること。

もう1つは命には限りがあり有限なものであるからこそ精一杯生きねばいけないということ。

月と地球の関係はあの世と現世と同じ関係だと思います。

月には穏やかで悩むことがない世界があり、地球には苦しみと煩悩とでも数限りない世界がある。

かぐや姫が月から使者が迎えにくるのを拒めない。お願いしても拒めないというのは僕らのいうところである「死」を暗示していると思います。

「死」は必ずやってくる。そして「死」を悟った時に翁の願いにそった生き方をしたかぐや姫は自分の意志で生きてはいなかったのだと。

上記した捨丸との会話が「幸せになれたかもしれない」というのも過去にあった選択肢の1つであり、もう過去に戻る事はできないからこその話なのですね。

だからこそかぐや姫は自分が幸せに感じる生き方を生ある限りするべきだったのだと後悔したのです。自分の意志で生きなくてはいけなかったのです。(それができた環境だったか、時代だったかは別として)

 

宮崎駿『風立ちぬ』と同じテーマなのでは?

上記『生きねば』はこの夏公開した宮崎駿監督の『風立ちぬ』のコピーです。

この解釈はいろんな人がいろいろ語っていると思いますが、僕は『風立ちぬ』から感じたのはこの『かぐや姫の物語』と同様に人の価値観ではなく自分の価値観で有限の時を精一杯生きろ。という事だと思いました。

『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎は自分の価値観で生きれた男として描かれています。飛行機が好きで飛行機の設計に全てをかける。愛する妻は結核を患っているが養生して少しでも命を永らえる道ではなく二郎の傍にいることで太く短く生きる事にする。

結果だけをみれば二郎の開発した飛行機は殺戮兵器になったし、妻は生きていない。けれども世間一般の価値観ではなく自分達が決めた生き方にひた向きにしたがって生きていました。

『かぐや姫の物語』は逆にかぐや姫が世間一般の価値観に縛られたことで時間が来てしまい本来したかった生き方が何であったのかを鮮明に浮かび上がらせます。

結果的に『かぐや姫の物語』は完成が遅れたのだと思いますが、宮崎・高畑の両巨匠が

同じ時期に別の作品を作りながらも同じ事を訴えているのではないかと思うととても興味深く感じました。

 

終わりに

以上が僕が『かぐや姫の物語』を観て感じた事です。

映像の凄さは言うまでもないと思いますが専門的な事はわからないので、喜怒哀楽すべてが詰まった映像だったという感想です。アニメーションなのだけれど、生きてるという感じ。

冒頭で書きましたが原作に忠実すぎて驚く展開はありません。しかし古典としかいいようのないこの映画においてここまで感想を書くほどに僕には訴えるものがあったのだと思うとその事が驚きです。

1つのメッセージを竹取物語をベースに2時間かけて伝える映画だったのだろうと思いました。

繰り返し観る映画ではないと僕には思います。

でも1度は必ず観て欲しい。そんな映画でした。

最後の最後ですが、なんかパタリロみたいなお付き人がよかったです!

『かぐや姫の物語』★★★★

 

かぐや姫の物語 ビジュアルガイド (アニメ関係単行本)

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