今でも揺れている
あけましておめでとうございます。
2012年最初のブログです。
毎日書こうと思っていたのですが、放置していました。
今日、日記を書くべきかは正しいのか、間違っているのかわかりません。
あの震災から1年経ちましたが、1年経過しただけで、節目でもなんでもないです。
だから、震災から得た事みたいな事を書くのは違うと思うし、そもそも、僕は被災者じゃないし。
ただ、ずっとあの地震が引き起こしたものを見て考えているし、何が正しいのかわからないし、正しい事なんてそもそもあるのかと迷うし、何しろ揺れています。
今日は東日本大震災の節目でも何でもないです。
でも1年を振りかえって、現状を見たときに僕が思う事や、妙な違和感については書き残そうと思いました。
被災地について
忘れない。自分にできる事をしよう。これだけです。
被災した方々の今も続く苦しみや悲しみを理解しようなんておこがましいです。
TV等で被災した方の話をみると声もでないです。
気丈に振舞う子供達が痛々しいです。
ただ、目はそらさないようにしたいと思います。
福島の人が差別されるとかもってのほかです。
気になる事はあります。東日本大震災があったから、阪神大震災や新潟の地震が記憶から上書きされるわけじゃないという事です。
直近では今も仮設住宅で過ごしている方々や被災した方を支援する方法を考えつつも、今もなお、阪神大震災等で苦しんでいる人達がいるなら、何をできるか考えなくてはと思っています。
でも、考えても答えはでないので、僕にできる事をするだけです。
シンプルですが
- 働く。
- 少しでも景気を良くする
- 少しでも寄付をする
僕ができる事は、今のところこれだけなので、この軸だけはブレずにいたいと思っています。
原発、反原発
この話は、正直、原子力エネルギーを活用する。という事と、今回引き起こされた放射能の問題がごっちゃになっている気がするので、凄く違和感があります。
本当に問題ないのですかね?放射能。
「ただちに問題ない」ってほざいた政治家については、何年たっても影響出たときに糾弾されてしかるべきと思っていますが。
何年か前に問題になった「アスベスト」って、当初は「ただちに問題ない」ものだったんですよね?
今はどうなんですか?
放射能は?
上に書いた、僕ができる事の中に、「福島のものを買う」を僕はいれていません。人は絶対に差別しない自信がありますが、福島の被災地近くで作られた食品を食べても大丈夫なのかは正直心配です。
偏見なのかもしれません。でも、何を信じていいのかわからないのです。
そう考えると、こんな事態を引き起こした原子力というものは、人の手にあまるものなのじゃないのか?とか思います。
でも、顕在化した問題と、リスクとリターンを考え、リスクを減らしつつ、リターンを最大限得るというのは次元が違うものであるとも思えます。
僕はもっと学ばなくてはならないのでしょう。
ヒステリックに正義をかざすのだけは、原発推進、現状維持、反原発のどの立場になるにせよやってはいけないことだと思います。
反原発のデモとかについては、意見を主張する事は大切だと思うので、否定はしません。でも「子供達に負の遺産は残させない」とか、それはそれで正しいとは思うのですが、だったら、「年金とか今のままでいいのかよ?」とか、「既に子供達は生まれた時から借金背負っているけれど、増税は反対ですか?」とか「電気料金の値上げについては賛成なんだよね?」とか、いろいろ思ったりしています。
子供の未来を考える。という時にエネルギー問題は重要なテーマだとは思いますが、財政等については同じか、それ以上に問題があるのを考えられているのかなぁと見ていて違和感があります。
この僕の意見も次元が違うと言われればそれまでなのですが・・・
なんにせよ、今目の前で起きている放射能の拡散については、子供達への影響も含め、どうやったら無害化、収束できるか?を考えなくてはいけないと思います。その点についてはブレはありません。
- 現在起きている放射能は一刻も早く収束させる
- エネルギーについては、冷静に考える。
僕ももっと勉強します。
最後に
別に最後でもなんでもなく、これからも震災とこれからの日本のあり方については考えたいと思います。でも、上で述べたように「自分にできること」を一所懸命にやるしかないと思います。
少しでも被災された方が幸せを取り戻せるように、少しでも子供達によい未来が作れるように。
がんばりたいと思います。