心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

ゲームの課金について徒然と

本日は携帯から更新です。

最近はゲームをする機会が減ってるなぁという感覚があるのですが、実際はスマホやタブレットでゲームをしているので、ゲームをする機会自体は減っていないなと思うのです。

スマホなら『ストリートファイターⅣ ボルト』をいまだに毎日のようにプレイしていますし、iPadでは『パズドラ』を毎日ログインしては1、2回プレイしてたりします。

帰宅後PCをつければ、とりあえず『クッキークリッカー』を起動して、ネットサーフィンをする傍で延々とクッキーを焼いております。

こう考えると、何だかんだでゲームをしまくってるんじゃないかと…
でも、やっぱりゲームをしてないなと感じる理由は子供の頃から慣れ親しんできたファミコンをはじめとする家庭用ゲームで遊んでいない事が原因だと思います。

何でゲームをしなくなったか?について考えてもいいのですが、今日は時間があるので『課金』について考えてみたいです。

上で述べたゲーム『パズドラ』なんかは課金要素があり、実際に運営するガンホーはこのパズドラのお陰で物凄い業績をあげています。
僕自身は『パズドラ』で課金をした事は一度もないのですが、業績からもわかるように実に沢山の人が課金という行為を行っています。

『課金』はついこの前までは携帯ゲームだけの『たいしてゲーム性がないものだけれど、ガチャ等の射幸心あおる仕組みにお金を払っちゃう行為』くらいに思っていたのですが、何時の間にやら家庭用ゲームも侵食されだしているなぁというイメージです。

最近ではPS3の『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル』なんかでも、その課金システムが批判の対象になっていましたね。

僕は『課金』という仕組み自体全てを否定するつもりはないですが、好きか嫌いか?で聞かれれば嫌いです。
それは子供の頃からファミコンスーパーファミコン、PS、サターン、64、GC等々ハードが変わりつつも遊んできたゲームには基本的に課金という要素がなかったし、そんな事を必要としないだけの面白さがあったと思います。

では、何が変わったのかと考えると、ゲームを作る事のコストや収益の取り方が変わってきてしまったんじゃないかと。

課金を許容するつもりはないのですが、ゲーム会社はもっとゲームを作る事でのコストであったり、収入源は何であるのか?を説明する必要があるんじゃないかと思います。

これは極論ですが本屋で漫画一冊万引きする人が『たかが数百円の万引きで本屋が潰れないだろう』と安易に考えているとして、実際には本屋さんがその数百円を稼ぐためには、どの位の本を売らなくちゃいけないのか?実際に小さいと思ってる万引きが本屋には大打撃であるように、僕らの身の回りで耳にするようになった『ゲームを割る』という行為や中古問題などキチンと顧客を啓蒙しながら、いい製品を作らないと、ますますゲームというものが先細りするのではないかと心配になります。

『課金』について考えるつもりが『割れ』とか『中古』とかに話が飛ぶのは、ゲーム会社が儲からない業界の仕組みがあるのだなとも思うので、それはそれで考えたいと思うのですけれど、少なくとも家庭用ゲームを出す会社がフルプライスで買ってもらう商品に対して課金要素を入れるというのは如何なものかと思うのです。

課金の前は『完全版商法』があって、あれも嫌でしたけれど。

なんか、お金を出して買ったゲームに更にお金を出さないと先が見えないという要素があるのはとても気持ちが悪いです。

今日は徒然に課金に対して企業側はもっと売上の仕組みを明かした方がいいという事を書きましたが、
また今度機会があれば『いい課金と悪い課金』みたいなものを顧客側の視点で考えたいと思います。

今日はここまでって事で。

儲ける仕組みをつくるフレームワークの教科書

儲ける仕組みをつくるフレームワークの教科書