今は無き市民運動会
今週のお題「運動会の思い出」
こんばんは。
東京は午前中はしとしと雨が降っていて、午後は雨が止んだので散歩がてら歩いて浅草にいってきました。
いやー混んでる。混んでる。
連休だからなのですかね?仲見世を歩いていると結構外国人の方も多くて、1年前に震災・放射能の話でぱったりと外人がいなくなった浅草が嘘のようでした。
なんにせよ、観光地がにぎわっているのはいいですね。散歩で行く身としてはそこそこの混雑でいいのですけれど。
さて、明日10月8日は体育の日らしいです。
らしい。というのは単純に僕がなれていなくて、体育の日といえば10月10日という刷り込みがされているので、ハッピーマンデー制度ってイマイチ休みの日が何の日なのか忘れちゃうのですよね。
で、体育の日といえば運動。運動と言えば運動会。って安易な気持ちから今週のお題について書きたいと思いました。
運動会自体は夏休みが終わると、すぐに学校の一大イベントとして、練習がはじまった記憶があります。
僕は小学校4年くらいの時に学年で行うダンスというか組体操というかそんなものの練習で、手にポンポンをつけるやつがあったのですが、なぜか人数分なくて、片方しかポンポンが手に入らず、片手でダンスをしたら、練習終了後に当時の担任に呼び出され「お前はふざけているのか?」とボコボコにされた苦い記憶があります。
正確に言えば、拳ではなくビンタなので、ボコボコじゃないですね。でも校庭の端から端までビンタされて泣いても許してもらえませんでしたよ。
ビンタされる。斜め後ろに吹っ飛ぶ、担任は前に一歩出てさらに僕をビンタする。僕は後ろに・・・を繰り返し。よく親にばれなかったな。
子供って理不尽な暴力とか、対処方法がわからないから、親には話しませんからね。
大人に殴られるっていう事が何故か「きっと自分が悪い」って思い込んじゃうから。
世の中理不尽な暴力やいじめで傷ついている子供はいると思うので、気がついたら「どうした?」って聞いてあげましょうね。たとえ、その子が何も話さなくても「気がついてくれた人がいる」っていうのは心強いですよ。
そんな僕が健全にすくすく育ったんですから、僕って偉いですよね。
・・・話がずれました。
運動会って小中学校では必ずあるイベントなのですが、子供の頃、僕にはもう一つ運動会がありました。
それが市民運動会。
町内会が一つのチームとなり、町内会対抗で運動会が催されるわけです。
10月か11月だったか。日曜日に行われ、月曜日は学校も代休だった気がします。
で、何かこの市民運動会で家族の思い出があるかというと、無いんですね。これが。
自分の両親が何か競技に出た記憶もなければ、僕もなにか代表になった記憶も無い。
ただ、町内会の付き合いというか役割で親は何かはしていたと思うのですが。
市民運動会のクライマックスはリレーだった気がします。
子ども会で学年毎に走って足の早い子が代表になったような。
そんな程度しか思い出せないのですが、あの市民運動会って誰のための運動会だったのかなぁとふと思ったのですよ。
今も続いているなら、確認する事ができたのかもしれないのですが、地元の友人に確認したところ、もう何年も前から廃止になっているそうです。
きっと文字通り市民による市民のための運動会だったと思うのですけれどね。
僕は子供とかいませんし、子供のイベントに大人も関与して地域のコミュニティーを作っていくという事の大切さとか実感がもてませんし、今は都内の賃貸マンションで隣の人が誰なのかもわからない状態です。
でも、きっとこういう市民運動会みたいなものって大切な事なんじゃないかなぁとかなんとなくは思うのですよ。
やるのは労力がいるし、費用がかかるしでいいことないのかもしれませんけれどね。
こんな時代だからこそ、ある程度の近隣住民のコミュニティーって大事なのかなぁとか。
いや、どうなんだろ?実際。
みなさんの街には市民運動会はありますか?
まとまりませんが、今日はこの辺で。
それでは、また。
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