心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

ふるさとに残っているもの。

今週のお題「私のふるさと」

ふるさと。
自分の生まれ育った街をでて、もう17年になる。
高校生活まで田舎で過ごしたから、あと2年もすれば家族と一緒に暮らした時間よりも、都心で暮らした時間の方が長くなるわけだ。

ふるさとの”イメージ”は変わらない。
いつでも子供の頃のあの情景を思い出すし、実際に帰っても道を忘れる事はない。

でも、ふるさとも変化している。
治安は悪くなったそうだし、相変わらず不景気だ。
今の小学校や中学校は何クラスあるのだろう?

一番変化したのは自分自身なのかもしれない。

ふるさとと呼ぶ街には実家があり、家族がいた。
いつの間にやら、祖母や父が他界し、年末にしか帰らなかった僕は、年末じゃなくても墓参りに帰ることが増えた。

子供の頃のお盆は儀式だった。両親や親戚は僕の会った事がない祖父をお墓から迎え入れ、お坊さんにお経をあげてもらう。

僕にとってはご先祖様を供養するという事でしかなく、そんな心がけの僕は大学時代や20代の時に帰省した際には仏壇に手を合わせたかも怪しい。

今はどうだろう?

実家に帰省すると、まずは仏壇にお線香をあげ、1人で墓参りにいく。

両親や親戚の行いが儀式にしか見えなかった祖父への想いを、父と祖母を失って理解した。

多分、見ていて欲しかったんだと思う。
子供の頃は家族がいるのがあたりまえで、自分が見守られていた事なんて意識した事もなかった。

父と祖母を現実に失う事を覚悟した時に、自分を無償で見守ってくれている人がいなくなる事にようやく気がついた。

自分は父を越えられたのだろうか?祖母の期待に応えられたのだろうか?

答えはわからないから、父と祖母が眠る墓に向かって自分の今を報告する。

正しい事ばかりじゃないし、間違っていると自覚している事も話しかける。いつかあの世にいったら叱ってくれと。
あまり怒られた経験はないのだけれど、大人になると叱られるという事も本当に少なくなるので、せめて空から見守ってくれている人には全てを報告しようと思うのだ。

でも、まぁがんばっているんだぜ。と格好もつける。

ふるさとには魂の帰る場所がある。

ふるさとに残っているものは、偽る事のできない自分自身だ。
だから、それに目を背けないために年に数回かもしれないけれど帰るのだ。

故郷

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