気になったコラム「桜宮高校バスケ部キャプテンの自殺の原因は「体罰」ではない。
こんばんは。
連日ニュースになっている桜宮高校バスケ部キャプテンが体罰で自殺した件について
興味深いコラムがありましたので紹介します。
窪田順生の時事日想:桜宮高校バスケ部キャプテンの自殺の原因は「体罰」ではない (1/4) - Business Media 誠
読んでみて、そうなんだよなぁと思うと共に、いつの間にか自分もこのキャプテンの自殺ではなく、もっと大きな(日本中にあるだろう的な)視点になってしまって
いたように思えて、ゾッとしました。
今日も会社のトイレでボケーっと
「自殺したキャプテンは結果的に今の教育とか体罰について一石を投じることになったなぁ。でもこの自殺したキャプテンは生き返るわけでもないし、つらいなぁ」なんて
考えていたのですが、
そもそも、このキャプテンは「何かを訴えたくて自殺したわけではないのです」
真相はわかりませんが「絶望して、苦しくて、どうしようもなくて命を絶ったわけです」
その自殺の原因がいつのまにか、キャプテンと顧問の問題から、日本の教育と体罰についてにすり替わっているように思います。
まずは、「なぜこのキャプテンは自殺したのか?」
もっとはっきり言えば、殺したのは誰だ?
から始めないといけないのだと思いました。
いつの間にか、自殺に追い込んだ顧問という存在がフワッとして「体罰」という言葉だけが独り歩きしています。
僕らの小さいころは・・・とか、スポーツの世界では当たり前・・・とか、そんな話になっていて、
このキャプテンは何で死ななけばならなかったんだろう?をもっともっと追究しなければいけないんじゃないかと思いました。
もちろん、今の教育界や体罰についてを考える必要はないとは思っていません。
卵が先か?鶏が先か?なのかとも思います。
でも、部活の顧問が「体罰」の結果でキャプテンは自殺した。という安易な話と、「体罰」は”きっと日本中で起きている”だから監視しようみたいな
話で終わらせてはいけないと思います。
顧問の”虐待”があった。その虐待については顧問個人をきちんと司法にて判断し、罰するべきなのではないかと思いました。
熱心な先生で多少行き過ぎた。とかいう人もいるのだと思います。
でも僕も含めて、それは蚊帳の外にいた人のいう言葉ではないかと。
「なんで僕だけ殴られるのだろう?」”僕だけ”
自殺してこの世からいなくなったキャプテンだった彼を死後も孤独にはしてはいけないと思います。
今、僕が見聞きした範囲での考えを書きました。
また情報が更新されれば考え方が変わるかもしれませんが、今はこう思っています。
それでは、また。
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