心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

デトックス

Twitterを開始してもう何年も経つけど、ここ最近は呟こうと思っても下手にRTとかされて異星人に絡まれたらやだなぁとか思い、書いたものを上げる前に削除することが多くなった。
そもそも僕のつぶやきはRTなんかされる確率はとてつもなく低く、もっとそもそもな話をしちゃうとつぶやきを読んでくれてる人はほとんどいないので自意識過剰な心配をしてつぶやきをセーブしているのだ。
とはいえ、イライラする日もあったり、俺はこう考えてるよ!って表明してみたくなる衝動があったりもするので人の目に触れにくいブログでダラダラ書くことにした。
あまり後ろ向きなことに使いたくないけどたまにはいいでしょう。

金曜ロードショーとエンディングカット
昨日の金曜ロードショーで『ワイルドスピード スカイミッション』のエンディングがカットされたと言うことでTwitterは大騒ぎ。みたいなのがニュースというかまとめサイト界隈で話題になってRTが流れてきたけど、これに怒ってる人って何に怒ってるのかよくわからない。
よくわからない。と誤魔化すのはズルいから正確に言えば、怒ってるのはこの作品が好きな映画ファンなのは理解してるのだけどノーカットと謳ってない地上波のテレビ放送に何を期待しているの?って事。
まず初見の人にとってはエンディングにどんな意味があるのか?の前提を知らないわけだし、カットされたのだから知る由も無い。
だから、怒ってるのはあの作品のエンディングの意味をしっかり認識していて大切に思ってる人なのだろうけど、そもそも公開時からこのエンディングはシリーズを追いかけてる人には話題になっていた話でみんな観ているわけでしょ?
カットされてテレビ放送に文句を言いたい気持ちはわかるけど『映画館やソフトできちんと観ないと損するよ』っていうのをやんわりと啓蒙すればいいんじゃないかと思う。
面倒な言い方をすれば劇場で公開されたものをノーカットで観るのが一つの作品であって、テレビ放送様に編集し直されたものはテレビでやる映画という『娯楽』でしかないよ。
テレビを馬鹿にするつもりはないけど、テレビ用の娯楽について顔を真っ赤にしてもって思うのだ。
大好きな作品を汚されたという感情はわかるけど、お前ら映画館やソフトで作品観た上で話してるんだよな?テレビ放送に何を期待したんだ?ってモヤモヤした。
勝手に推測すると『初見の人に感動を共有して欲しかった』はあるのかもしれないけど、テレビでしか映画を見ない人は時間つぶしだから大きなお世話じゃね?
でも金曜ロードショー公式Twitterはエンディングを語っておいてカットはダメだとは思いますよ。
自分でもなんでモヤモヤするかわからないんだけど、あまり騒いでると地上波で映画放送する事自体面倒だとなっていく気がするけどなー。
映画ファンが間口を狭める事にならないか心配なのです。

俺たちの税金で飯食うヤツらという傲慢
消防士だろうが警察官だろうが非番の日にワザワザ制服を着て利己的な目的で権力を使った事件があるならともかく、勤務中にちょっと休憩を入れる事にクレームをつける人は僕には異星人なので関わりたくない。だからこういうのは言及したくないんだけど。
公務員に対して『俺たちの税金で飯食ってるくせに』って言う人はなんなんだろうね。
自分の意思に関わりなく税金を自動的に徴収されてるから怒りがあるのかもしれないけど、こういう人たちは自分が運がいいだけ。という前提もなく想像力もないのだからタチが悪い。
色々言いたいのだけど面倒なので勝手にまとめると、お金の仕組みや社会の仕組み、経済を教育課程でしっかり学ばせない教育のあり方がもう限界なんだろうな。

外遊
外遊という言葉から海外に遊びに行ってるという意識の人がそれなりにいる事に驚いた。
貴方の会社や田舎の議会の海外出張はきっとそうなんだろうね。

ミサイルで死ぬという事
想像力が足りない人が多いと人様を馬鹿にしながら自分自身が想像力が乏しかったりもするから困ったもんで。
2017年になってから具体的にミサイルが都内に落とされて死ぬ事もあるんだよなと思っている。実際の可能性はどの位あるのかなぁ。1%はもうある気がする。
今の日本にミサイルが落ちたら、『日本が悪い』と言い出す人達がいるのが想像は出来るので今の時点で腹が立ってる。

毒を吐いてスッキリしたかったけど、どうも無理くさい。僕にとって異星人は異星人から見た僕も異星人なのだからお互いに交わらない事が一番いいのだと思う。

ここまで書いて僕は大抵削除する。

今日は上げてみる。






2月の雪と『白いカイト』と音楽と。

今日は結局都内でも積もらない雪はずっと降っていた。
僕は午前中に多分1年以上は経過した歯の定期検診をすべく雪の中を歯医者に向かって歩いていたのだけれど、歩きながら頭の中に流れてきたのはマイリトルラバーの『白いカイト』だった。『空は夏の色に染まる〜』と雪がチラつく中で口ずさめる位に頭の中に流れていて不思議な感じ。僕はこの曲が好きなのは間違いないのだけど、この曲に限らず学生時代には音楽に溢れていたというか、あの頃聞いていた曲は完璧ではないにせよ歌詞は大体口ずさめる。
昔は良かった。という話ではなく、あの頃覚えたことは大人になっても忘れないのは何故なのか?
自分のアンテナが音楽に向いていたのか、今が違うのか?90年代は確かに音楽市場にとっては異常な時代だったと思うのだけれど、街を歩けば音楽で溢れていた気がするのよね。
話題のJASRACだけど、別にその事を論じるつもりも知識もない。
でも音楽に意識的に触れている人だけの市場は衰退するの当たり前のように思える。
無意識に耳にした時に『あ、いいなこれ』とか『全部聴いてみたい』の方が大事なんではないか?
90年代に比べて今の方が音楽を購入する手間は格段に楽になってる。スマホでポチっとで1曲ずつから買える。あの頃シングルCDを1000円だして買っていたのが今はデータで250円もあれば1曲買えちゃうのだ。
街に音楽が溢れたら市場が活発になる。というほど安易な結論を出すつもりはないけど、結局今の時代は中高年が1番金を出すと思うので、この年代の人にどうやって音楽にアクセスしてもらうか?ってのが大事なのかと。
テレビをつけたらCMで毎号ZARDが届くみたいなのが販売してたけど、固定層や懐メロ層にはそれでいいけど、新規をどうするのかなぁって思うのだ。
アニメの主題歌がヒットチャートに必ず入るようになってきたのはそれだけアニメにアクセスしてる人がいて、目的はアニメだったけど『この曲いいな』でポチッとしてる人がいる事じゃなかろうか?
テレビも見ない、ラジオも聴かない、スマホで時間が潰せる。そんな時代だからこそ音楽に『無意識に』アクセス出来る機会をどう作るかは考えると面白いと思う。
僕は今都内にいるけど、田舎に帰ればジャスコ(今はイオンね)に行くのが娯楽の一つなのだからショッピングモールが音楽で溢れるのは大切なんじゃないのかなぁ。
学生時代にバイトで小さなCDショップのおにーさんをしていた僕としては、今の時代にも若い人が店員のにーちゃんに『この曲、なんていう曲なんですか?』って会話があるといいなと思ってるし、そんな光景を目撃したいなと思うのです。
それにしてもなー、しつこいけど、商店街に音楽が流れてて、スマホのマイクで拾えばGoogleがその曲をサジェストしてくれて、あとは買うだけ。みたいなのありそうですが、ないんですかね?
もしもあるなら、単純に僕自身の音楽への感度が鈍すぎるせいですね。
まとまりないけど、歯医者への道のりで、そんな事を考えておりました。
それでは、また。

evergreen

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