心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

自分を許そう。

現在21時39分。9分ほど迷った末に『今日はジムサボろう』と決めた。

「サボろう」の時点でやばい。何?サボるって?義務?

正確には「今日はジム行かないことにした」程度のことなのだけど自分なりに行ける時は行く!と決め、物理的に行けるのに行かないと決めた事を「サボる」と認識している。

 

まぁごちゃごちゃ書いたのだが、今日は疲れたと言うのが本音で、別に疲弊はしていないのだけど大きく深呼吸して息を吐いたような状態なので、今日はもう深呼吸しなくていいんじゃないかなと思ったのだ。

 

あまり仕事らしき事はしていないのだけど、今日はそれなりに神経をすり減らしてたと思うので自覚以上に疲れてるなぁと。

 

でもジムに行けないほどじゃない。

 

そんな葛藤で悩むと気持ちも疲れるので「行かない」と決断した。

 

ジムに行くことの事例で書いたが「こうありたい自分」というのは比較的多くの人がそれぞれ自分の中に思い描いているのではないだろうか?

それを自分が達成できなかったり、今日の僕のように怠惰を理由に行動しないと自分自身を裏切る気持ちになるように思う。

 

で、何が言いたいかと言えば、「そんな日もあるから、そんな時の自分自身を許してあげようぜ」ってだけの話。

 

自分を許すって大事だと思うのよね。

 

むかし人と話してて「だよな」って思って楽になったので、もしこのエントリー見た誰かが「だよな」って少し肩の力を抜くきっかけになればいいな。

 

それだけです。