心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

恵まれてるが不幸せ思考

あまり幸せを感じることのない日々を送っている。

この場合の幸せは『健康で美味しいご飯を食べてぐっすり眠れる』という類のものではなく、脳内麻薬というか、多幸感に包まれるような状態を指す。

いい歳なので健康なのかはさておき、恵まれている方だと思う。具体的に何というわけではないが、上を見たらキリがないし、下を見てもキリがない。少なくとも下を見て「自分の方がまだマシ」とか考えて自分の立ち位置を確認する必要がないし、上も下もキリがないと自覚できるだけのバランスがある(つもり)

上も下も主観だし、人によって入るものが違うとは思うけど。

前にブログに書いたような『松屋の値段を気にしたことがない』も1つの恵まれた証左になるかもしれない。松屋の新メニューなんかのニュースとかみて「高い!」みたいな声を見ると、定食屋さんの価格でも気にしないと大変な人もいるのはわかるけど、僕自身はそこには困ってない。

こうやって定義から色々書くからメッセージが伝わらないのだけど、『うぉぉー幸せー!』がないのである。

むしろ、恵まれている事は状態の安定を示しているので、この状態が崩れた時にこうやって余裕こいて話していることが崩れる恐怖に押しつぶされそうになる。

あ、恵まれてると言っても美味しんぼでいう「とんかつを食えるようになったひと」くらいなので誤解ないように願います。

瞬間的な幸せはあるのかもしれないけど、もう何年も浮かれてる状態というか、ハイな状態がない。

どうしたら健全にハイな状態になれるのだろうか?

 

贅沢な悩みだし、嫌味に聞こえるような話かもしれない。

 

熱中したい。大声で笑いたい。

 

こういう事を考えて書いてるのは、やはりコロナの自粛生活が影響してるとは思う。

熱中するものは見つからないかもだけど、友達と会ってくだらない話をするだけで笑える。

こういう笑いがない。

 

仕事がうまくいっていないのも影響してるのかしら?

 

自分はどんな事が楽しくて、どんな時に笑うのか忘れてしまった。

 

楽しい事がしたい。

 

まぁ1年以上、気を許す友達と無駄話をしてないのだから、こんな事も書きたくなるのであった。

 

コロナ禍の最前線で『幸せとは何か』なんて考える余裕もなくひたすら日々命を救うために尽力されてる方がいるのもわかるのでこういう事を書く事自体、失礼だよなって思うのだけれど、こういう葛藤も含めて、書いておきたいと思った次第。