心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

寺地はるな『水を縫う』を読んで思う

『過去と他人は変わらない』

これは僕がある人から教わって以来ずっと大切にしている基準だ。

SNSなんかをやっていると、どうも過去を無かったことにしたいのか、過去に復讐でもしたいのか、前を見るのではなく後ろを見ている人もいれば、『前を向きなさい』と必死に時に自分の満足の為に声を荒げている人もいる。

滑稽だとは思わないけど、大抵無意識にやってるのだろうなとは思うし、それを是正する力は僕にはなければ是正をしようという気持ち自体がおかしい気もする。

 

でも、仮に僕が好きな人も、消えて欲しいと思えるくらいに嫌いな人がいたとして、僕から見たその人達をまた別の視点で見ている人もいて、自分の好き嫌いとは真逆の感情を持っていたりする。

当人に誰がどんなキッカケを与えるかは別として、1人1人がちょっとだけ幸せになる日々を積み重ねていけたら、きっと幸せな世界はあるのではないだろうか。まぁ噛み合わない人とは噛み合わないのだけどそれもまたよし。

 

この考えに著者の寺地さんが同意してくれるかはわからないけど、寺地さんの著作は読むといつも自分と大切にしているものが近いのではないか?と思うのだ。

確認したわけでもないし、ただそう思わせられてしまうだけの圧倒的な寺地大仏の掌を僕がクルクル回ってるだけかもしれないのだけど。

 

前置きが長くなった。

この本は

ある家族の出来事(姉が結婚して家を出るまでの間)の中で家族それぞれが

『人はそれぞれ異なりパターンで区分けできない』

『普通でいい』の普通とは何だろう?

『自分の人生は間違っていたのか』

『家族って何だ』

『親の心、子知らず、この子、親知らず』

『愛が噛み合うかは別の話』

『好きな事を肯定する大切さ』

みたいな事を章立てでそれぞれの登場人物の目線で紡いでいく。

 

昨今話題になるような物語の装置としてLGBTみたいな事を絡めず、とある家族の話として淡々と積み重なっていく。

余談だが、こう書くとLGBTが普段の生活の中で目に入ってない事自体がお前(僕の事)の見識の狭さだ。とか言われるような世の中になってる気がして凄く息苦しい。例えよ。例え。わかりやすい悩みや葛藤じょなくても、人と好きなものがちょっと違う。ってだけでも人の数だけ悩みはあって、それを日常生活の物語で伝える寺地さんは凄いなって話。

 

最近本当に加齢のせいにしてるけど人に何かを勧める時の語彙力がなくなった。

 

この本を誰かに勧めたいとも思うけど、僕はこんな風に読みましたよと著者に伝えたい為に書いてる部分もあるし、この記事自体を誰と向き合って書いているのか曖昧なのでターゲットを明確にするって大切だなぁと思うのだが、そういうのは仕事だけで勘弁してください。

 

人と自分はちょっと違うのではないか?

でも世間に外れない生き方を装わないと生きていくのが大変なんじゃないか。

 

そんな事を思いつつ、日々歯を食いしばって生きている人がいるならこの本を読んでもらいたい。

 

誰しもあるであろう『あの日、あの時、あの場所で、言えなかった事、我慢した事』それが怒りなのか、悲しみなのかは人それぞれだけど、

『そういうのあって、今があって、辛かったけど、これからはこうしてみようかな?」

って勇気をもらえる本です。

 

『過去と他人は変えられない』のだけど、

『自分で未来は変えられる』のです。

 

その未来への分岐点になるかもしれない一冊かもしれません。

劇的な変化じゃないかもだけど、ちょっと今日が嬉しくなったら、きっとそれでいいのです。

 

妄想だけど僕が映画監督なら実写化したいのだけど、そろそろ寺地先生のところに実写化の話は来ないのかなあ。

 

久々に読書したのでよく眠れました。

読後感も素晴らしい作品です。

何このサプリメントの効能みたいな感想…

 

良かったら手に取ってみてください。

 

 

水を縫う (集英社文芸単行本)

水を縫う (集英社文芸単行本)