心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

人生に運の要素は大だと思うけど、今の自分が運だけだと言われると違和感はある。

今年の4月にでも書こうかと思ったのだけれど、

氷河期世代と言われる僕が2000年に大学を卒業して社会人になり今年で20年となる。我ながらびっくり。

年末に高校の友人と飯を食いながら『いつまで働かなくてはならないのか?』と暗い顔をして話し合った。もちろん、アーリーリタイアの準備もしてなければ経済的な自由があるわけではない。

ただ20年経過して、この先短くても今のまま働き方が変わらないのなら20年あるという事実が怖いというか、これから日本が良くなっていく未来があまり想像できない。

 

とはいえ、おかげさまで今今は日々の生活で明日のご飯を心配しなくてはならないような状態ではなく、今の職場を仮にクビになっても、年収は落ちるだろうけど働き口はなんかあるだろって思える程度にはやっていけてるとは思う。

 

で、今の自分はある一定の満足を得られているのは、何だかんだと運の要素が強いとは思う。

めちゃくちゃ遡れば日本人に生まれたことも、親から虐待されることなく、今振り返れば愛情を持って育ててもらったと思えることも、大学に進学させてもらえる環境だったのも、運だと言われればそうだ。

自分自身も今までの歩みを省みると恵まれていたなとは思う。

ただ、他の誰かに『貴方は運が良かっただけですね』ともし言われたら、素直に認める部分と、とはいえなぁという気持ちも芽生えると思う。

起業しているような人のデッカいリスクは取ってないかもしれないけれど、その時その時に自分で判断したことや、多少ながらもリスクを背負ってきた事、全部運と言われると違うだろったら気持ちになる。

ただ、気持ちの持ち方のバランスは大切だと思っていて、自分の努力や判断を運だけで括られたら困るけど、氷河期世代の多くの人が厳しい環境の中で今も苦しい生活をしているのを『努力不足』とは一刀両断出来ない。

チャンスが目の前にあっても、それをチャンスと認識できるだけの能力や経験、知識がなかったのかもしれない。

鍛えれば得られる能力もあるだろうし、地頭の問題もあるかもしれない。

結局、個人個人のパラメーターは違うので、それを比較しても仕方がないとは思うのだけれど、自分の今の環境はいつ裏返るかわからないわけだ。

 

…と、ここまで書いて何を考えてこんな事を書いているのかわからなくなったので、しばらく放置してケーキを食べたり食器を洗ったりしていたのだが、頭がクリアになってきたのでゴールがわかった。

 

なんでこんな事を書いているのかといえば、僕が今果たさねばならない仕事の案件が今までの経験則や、『なんとかなるっしょ』的な事が通用せず、完全に能力的には自分のキャパを超えてしまったと自覚しているから不安から書いている。

 

つまり『やっぱりこれまではラッキー出来ただけで運が尽きたのかしら?』と不安になってるわけだ。

 

反面で今の年齢で新しい事、キャパを超えている仕事を任される環境であったり、これを乗り換えた時に得られる自分への能力や経験のリターンは大きいものがあるとは思う。

 

仕事が成し遂げられなければ今までの歩みは運の良さが比重が高かったのかもしれない。

でも、簡単に認めたくないから、今できる事を頑張ろう。

 

そんな葛藤でございました。