心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

祖母の命日

9月15日は祖母の命日。
3連休の中日だし、実家に帰って墓参りしてもよかったかなぁとか言うくせに
実際は自宅でPCの前に座っている。ダメですね。

今日は祖母の事を思い出しながら過ごそうかと思ったけれど、
ブログに関して文章にするような事でもないかなぁと思ったりする。

たまに祖母と話がしたくなる。

携帯電話はどんどん便利になるけれど、あの世とは通話はつながらないのが残念。

電話の最後に祖母が言う言葉は決まって
『気をつけて歩くんだよ』
だった。

僕が進学で上京した時から、社会人になってしばらくたってからもずっと。
その言葉にはいろんな想いがあると思うのだが、
何しろ大切に想われていた事だけは心に残っている。

祖母は本が好きだった。
近所のブックオフに散歩がてら1人で行って、100円コーナーから
「いい本が見つかったのよ」と嬉しそうに話していた。

図書館も利用したし、普通に新刊でも本を買っていたが、
田舎の本屋は品揃えが豊富なわけではないので、欲しい本がすぐには手に入らない。
それはそれで気にしていないようでもあったけれど、
一度、どうしても読みたい本があって弟がamazonで注文したら翌日に届けられて
驚いていた。

たしか、この本だった気がするけれど。違うかな?うろ覚え。

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

思えば、祖母に感謝の気持ちを形にして伝える事はほとんどなかった気がする。
父も病気してしまったため、父と祖母まとめてみんなで家族旅行とか招待っていうのは
したりしたけれど。

自分が受けた愛情に対して、全然お返しができないままになってしまったなという気持ちが強い。

別に形にする事だけが感謝じゃないのはわかるのだけれど、
今の自分にできた事はもっとあったんじゃないのか?と思うと後悔はある。

大抵、失いそうになってから気がつくのだ。
だから、僕が学んだことは常日頃からまわりの人を大事にしなくちゃいけない。という
当たり前の事なんだと思う。実践は難しいのだけれど。

祖母は「三ツ矢サイダー」が大好きだった。
250mlの缶のやつ。箱買いして1日1本飲んでいたように思う。

三ツ矢サイダー 缶 250m×20本

三ツ矢サイダー 缶 250m×20本

近場のスーパーにはきっと500mlのペットボトルしかないけれど、
今日は僕も『三ツ矢サイダー』を飲もう。

記憶は不思議なもので、祖母には大切にされたという事は確信しているけれど、
楽しい具体的な事を思い出すよりも、鮮明に覚えているのは
喧嘩した時だったりする。

それは多分、「大切にされた時間」というのが当たり前にありすぎるからなのだろう。
記憶がおぼろげなのではなく、自分が受けた愛情が身を包んでいる感じと言えばいいのかもしれない。

僕は祖母が大好きだ。
今、祖母と話ができないのが、とても寂しいです。