心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

読書の思い出。読書は競争だった?

こんばんは。今日は世の中いろいろありましたね。

僕は仕事してました。

うん。仕事してたんです。それだけ。いいとか悪いとかそういう事から逃げたわけでも思考停止しているわけでもなく、やるべき事とやらなきゃ生きていけないからやったのですよ。

そんなこんなで結構疲れて帰宅して眠いのですが、ブログ徘徊をしてたらいくつか読書について言及されていたのを発見しました。

その記事自体について思うところはないのでリンクしてません。横着ですみません。

僕が思い出したのは小学三年生の頃の事。

担任のS先生はクラス全員の名前を模造紙に書いて、読書が終わったらシールを貼ってくれました。シールをちゃくちゃくと積み重ねる子、全然進まない子。いろんな子供達がいるなかでY君は突出したスピードでシールを貼りまくっていた。

シールを貼るのは自己申告ではなくて、S先生に感想文を提出したと記憶している。

Y君はお世辞にも勉強のできるとは言えない小学3年生だった。

でも1日1冊だか2冊だかの驚異的なスピードでシールをもっていた。

「先生!読んだ!」

Y君の感想文がどんな内容だったのかは今でもわからない。こうやって思い出すと読んでみたいと思ったりもするのだけれど。

そんなクラス全体の取り組みだった読書完了後のシールは唐突に終わりを迎えた。

ある日学校にいったら綺麗さっぱりなくなっていたのだ。

S先生に理由を聞いたら、ちょっと寂しそうな顔をして

「うーん。注意されたんだよ。読書はそれぞれのペースで読むものだし、スピードを競わせるものではないってね」

誰に注意されたのかは覚えていない。教育なんちゃらだったのか、校長先生だったのか。今の時代だったらクラスの誰かの保護者とかありそうだけれど、そうじゃなかったと思う。

なんにせよ僕らの手作り読書メーターは終わりを告げた。

当事者でもあった僕にとっては残念に思ったし、トップを快走していたY君からはその後、読書のども聞かれなくなった。

僕はS先生が競争を煽るような事をしていなかったと記憶している。結果的に各自の読書量が視覚化されたことで1番になってやろうって子供がでただけだ。

S先生に注意をした人は正しい事を言ったのだと思う。読書は競争して読むものではない。でも子供心にすっきりしないものを残した言葉だった。

なぜならY君はとても楽しそうだったから。

Y君の感想は読めなかったし、申し訳ないが想像するに内容も薄い感想だったと思う。

でも楽しそうだった。

彼の読んだ本はほとんど彼を素通りしたのかもしれないけれど、もしかしたら、あのまま読書を続けていたら生涯手放せない本に出会った可能性があるんじゃないかと思うのだ。

楽しい事をしていて、その上で大切なものに出会えたらこんな幸せな事はないでしょう?

S先生はそのきっかけをみんなに与えようとしたのだと思う。

子供の直感だ。でも子供の直感ってはずれないと思う。

あの頃S先生が蒔いた読書の種は全員開花したわけじゃないと思うけれど、きっと何人かには確実に花を咲かせたと思う。

そんな思い出。

僕が言いたい事は特にないのだけれど、

今読書をファッションのようにしている人に対して本当に本が好きな人からはなんだかなぁって思う事もあるかもしれない。

僕もtwitterなんかみていると、有名人が自分の著書の感想をRTしているのを見て、これでRTしてくれるなら読まなくてもそれらしい感想をかけばRTされちゃうんだろうな。なんて事を考える。そんな事して楽しいのかは別として。

でも、きっと楽しいと感じている人はいて、実際に素通りしているだけかもしれないけれど本はその人の手にあるのだ。

そういう人は僕にとっての小学三年生のY君かもしれない。読書という自分の中のブームが終わればいなくなるかもしれない。でも何かが残って読書の世界にどっぷり浸かる人も出てくるかもしれないなとも思う。

願わくばそういう人が読書を好きになったきっかけになる本は何であったかを知りたいし、どんな感想だったのか知りたい。

そうだ。僕はきっとY君と本について話したかったのだ。

好きな事、楽しい事を共通の話題にできたら人生はもっと楽しくなる。

だから僕は漫画が多いけれど感想書いたりしています。

 

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読書力 (岩波新書)

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読書について

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