心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

2月の雪と『白いカイト』と音楽と。

今日は結局都内でも積もらない雪はずっと降っていた。
僕は午前中に多分1年以上は経過した歯の定期検診をすべく雪の中を歯医者に向かって歩いていたのだけれど、歩きながら頭の中に流れてきたのはマイリトルラバーの『白いカイト』だった。『空は夏の色に染まる〜』と雪がチラつく中で口ずさめる位に頭の中に流れていて不思議な感じ。僕はこの曲が好きなのは間違いないのだけど、この曲に限らず学生時代には音楽に溢れていたというか、あの頃聞いていた曲は完璧ではないにせよ歌詞は大体口ずさめる。
昔は良かった。という話ではなく、あの頃覚えたことは大人になっても忘れないのは何故なのか?
自分のアンテナが音楽に向いていたのか、今が違うのか?90年代は確かに音楽市場にとっては異常な時代だったと思うのだけれど、街を歩けば音楽で溢れていた気がするのよね。
話題のJASRACだけど、別にその事を論じるつもりも知識もない。
でも音楽に意識的に触れている人だけの市場は衰退するの当たり前のように思える。
無意識に耳にした時に『あ、いいなこれ』とか『全部聴いてみたい』の方が大事なんではないか?
90年代に比べて今の方が音楽を購入する手間は格段に楽になってる。スマホでポチっとで1曲ずつから買える。あの頃シングルCDを1000円だして買っていたのが今はデータで250円もあれば1曲買えちゃうのだ。
街に音楽が溢れたら市場が活発になる。というほど安易な結論を出すつもりはないけど、結局今の時代は中高年が1番金を出すと思うので、この年代の人にどうやって音楽にアクセスしてもらうか?ってのが大事なのかと。
テレビをつけたらCMで毎号ZARDが届くみたいなのが販売してたけど、固定層や懐メロ層にはそれでいいけど、新規をどうするのかなぁって思うのだ。
アニメの主題歌がヒットチャートに必ず入るようになってきたのはそれだけアニメにアクセスしてる人がいて、目的はアニメだったけど『この曲いいな』でポチッとしてる人がいる事じゃなかろうか?
テレビも見ない、ラジオも聴かない、スマホで時間が潰せる。そんな時代だからこそ音楽に『無意識に』アクセス出来る機会をどう作るかは考えると面白いと思う。
僕は今都内にいるけど、田舎に帰ればジャスコ(今はイオンね)に行くのが娯楽の一つなのだからショッピングモールが音楽で溢れるのは大切なんじゃないのかなぁ。
学生時代にバイトで小さなCDショップのおにーさんをしていた僕としては、今の時代にも若い人が店員のにーちゃんに『この曲、なんていう曲なんですか?』って会話があるといいなと思ってるし、そんな光景を目撃したいなと思うのです。
それにしてもなー、しつこいけど、商店街に音楽が流れてて、スマホのマイクで拾えばGoogleがその曲をサジェストしてくれて、あとは買うだけ。みたいなのありそうですが、ないんですかね?
もしもあるなら、単純に僕自身の音楽への感度が鈍すぎるせいですね。
まとまりないけど、歯医者への道のりで、そんな事を考えておりました。
それでは、また。

evergreen

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