心のパンツは脱げるのか?

30代のおにー・・・おっさんが心のパンツを脱いで話しかけるよ。

3月のさよならにありがとうを。

卒業シーズンらしい。
らしいというのは僕の周りは特にそういうイベントがなくてtwitterなんかを見ているとタイムラインに「子供の卒業式」とか「卒業」とかそんなつぶやきが乗っている。
別に真偽は確かめなくても3月はいうまでもなく卒業式なわけで、沢山の卒業生が新しい人生を歩んでいくのだなぁと思う。

3月は別れの季節なのだ。別れというか『卒業』なのだと思う。自分がこれまで属したものから新しい世界への旅立ち。その世界ってものが人の数だけ分岐しているから道が交わる人もいれば、お互いに背を向けて別方向に歩む人も出てくる。

今はSNSが普及しているし、縁が切れるというのはあまりないのかもしれない。それは当事者ではない僕にはわからない事なのだけれど。ただ僕自身が人との別れを考える時に『ありがとう』って伝えて別れる事ができていたかな?と思うと残念ながらできていなかったなぁと思うのだ。

以前も書いたけれど『またね。』が最後の言葉になる時も沢山あって別に別れを意識していないからこそ特に何も伝えずにそのまま縁が切れるって事も多い。

特に今日は何か事例があっていう話でもないのだけれど、だからこそ区切りの日がきたのなら自分にとって大切な人には『ありがとう』を伝えるのがいいのだと思う。僕の学生時代は必ずしもいい思い出ばかりではなかったかもしれないけれど30代も半ばになると思い出も純化されていたり、おぼろげだったりしてよくわからないのだ。

ただ、あの季節、あの場所で、一緒に笑っていた記憶とかがうっすらと思いだせる。今ではもう連絡先もわからなくて実際にどんな人生を歩んでいるのかわからないのだけれど、ただ僕自身の今が過去の積み重ねであるからこそ、たった数年の間でも一緒に過ごしてくれた人というのはきっと人生の糧になっているのだと思う。

僕はきっと沢山のありがとうを言うべきだった。難しいのは今になったから言えるんじゃないか?って事でもあるけれど。

だから今は何か区切りの時が来た時は『ありがとう』をきちんと伝えておきたいと思う。

さよならがあるからありがとう。って訳じゃないけれど。
ありがとうを伝える事できっと自分の過去は肯定されるんじゃないかなと思うのだ。

それでは、また。

ありがとう

ありがとう

げんきえほん (3) ありがとう

げんきえほん (3) ありがとう