いじめから逃げるには死ぬしかないのか?
こんばんは。
今日は『キン肉マン』の40巻が届きました。
最近買った漫画の感想でも書こうと思っていたのですが、何気なくつけていたニュースでまた、子供がいじめを苦にした自殺をしたニュースというのが入ってきました。
ニュース自体はそれをいじめと断定できないような話をしていましたが、
いじめと自殺というのがセットになりすぎていて、こういうのを見ると、本当にがっかりします。
この夏、話題になった大津市のいじめは論外というか、最悪でしかないのですが、僕はいじめ自体は全国どこにでもある問題だと思っています。
僕の子供の頃にありました。誰かのブログを拝見した時に「口には出さないが自分も加害者だ」みたいなものがあり、その通りだよなぁと思ったものです。
ちょくせつ暴力に訴えるようないじめじゃなくても、その人の尊厳を傷つけるような事を言葉や態度で表した事は僕にもあるし、それをいじめではないと正当化することもできません。
いじめはあるのです。
僕の子供の頃は、僕自身が子供でしたからニュースも子供の視点でしかないのですが、大人になった今は、子供がいじめで自殺しているというニュースを良く見ます。
もしかしたら件数は変わっていないのかもしれません。
でも、何しろいじめで人が死ぬわけです。
親に相談できなかったのか?
相談できませんよね。僕だって子供の頃、親には話したくない、話せない事沢山ありました。
それが、もしもいじめだったら、親を傷つけるという気持ちになってしまうかもしれません。
何がいいたいか?
いじめられている人には逃げ場がないのですかね?
「逃げていいんだよ」と学校から脱出する事を教えてあげられる人はいないのですかね?
TVを見ても死んだ子供とその理由ばかりで「今、いじめられている人」に対する逃げ方は放送しないんですよね。
死を選ばざるをえなかった人にいいたい。
死ぬよりマシな事、沢山あるぜ。
いじめに立ち向かう必要もないし、戦わなくてもいいけれど、
逃げちゃえとは思います。
逃げられないから、死を選ぶんだよ。という声もありそうです。
絶対に逃げられる。
子供は生まれた小さな街が世界の全てですが、大人になれば世界は広がります。
いじめっ子はそこまで追いかけてこれません。
それでも、それでも、もしこの世界を捨てようと思った時は、
遺書ではなく、自分の声でお別れを言ってみてください。
全国のいのちの電話|一般社団法人日本いのちの電話連盟
僕はいじめられる人を弱い人間だとは思いません。
自殺する人間は弱いとは思うけれど、自殺せざるをえない状態においこまれているなら、それは殺人だとも思います。
逃げていいんだよ。
今もし、いじめにあって死にたくなるくらい辛いなら、その環境から逃げてください。
少なくとも学校へはいかなくていいんだ。
僕はそう思っています。
いつか、どこかで出会えたかもしれない人が自殺しているという現実がつらいので書きなぐりました。
どうせ死ぬなら俺と友達になれば、俺の友達が増えていいのにな。
死ぬよりいいし。何より俺がうれしい。
だから、死ぬ事はない。
それでは、また。